清風読書会

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2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

中原昌也「待望の短篇は忘却の彼方に」2003年春刊 20200523読書会テープ

【はじめに】 H ひさびさに中原を読んでいる。 S こんなに分からなかったけ、歯が立たない。 Y 分からないのが面白いのだけれど、噛み応えもなければ噛んでいるの?みたいな不思議な感覚でした。 S 私がいちばん分からなかったのは、老婆が二回り大きいとい…

太宰治「ヴィヨンの妻」その3

【ウントク・ヒョウトク】 S 「ケケケと妙に笑いました」というこの子どもを小説に書くのは、今だったらリスキーでしないでしょう。どうしてこの坊やは「阿呆」になっているのだろう? Kこれは実体験ですよね。津島佑子が書いている。 S 実体験だからといっ…

太宰治「ヴィヨンの妻」その2

【ネットワークとしての家】 H 妻が家を出たというのが大きいのではないか。家同士がつながる、飲み屋さんの家と大谷の家がいつの間にかくっついてしまう。僕は「清貧譚」が好きだから、家を出て、家に入ることに注目している。 S 家を出るという時の家は、…

太宰治「ヴィヨンの妻」 20200425読書会テープ

【はじめに】 登場人物は、大谷という作家、その妻、こどもが一人。一方、上州から出て来て小料理屋を開いている夫婦。戦前から戦後にかけて大谷に魅入られたように酒を飲み干されてしまう。今回事件が起きて、年末の押し詰まって、ようやく5000円を集めてき…

太宰治「作家の手帖」その5

【美しくのんきな女たち】 S さらに問題は残る。のんきで美しいを価値として私たちは認められるのかどうか? K 責任がないからのんきで美しいんでしょう。 S 戦争のまっただ中なのに、無心に、つまり戦争のことなど一切考えないでいられることに、無責任…

予定

5月23日15:00 中原昌也「待望の短編集は忘却の彼方に」から冒頭の短編、「虐殺ソングブックremix」から、町田康のリミックス作品

太宰治「作家の手帖」その4

【アメリカの母さんと日本の母さん】 S 最後の段落でアメリカの女と日本の女というのが表に出ているところがひっかかる。これをどう考えたらよいか? K この最後の段落3行か4行、これは書かされたのか、ご時世か? だから騙されているという感じがする。 S …

太宰治「作家の手帖」その3

【母さんの洗濯】 H 井戸端の母さんということばも同じですね。こどもがいる自分自身とも言えるし、もっと無名の存在のお母さんという意味ももってしまう。世代的にどちらに向かっても使える。自分でもあるし、無名でもあるし、両義的な使われ方。 K 奥さん…

太宰治「作家の手帖」その2

【階級を超える】 Y 煙草の火を貸すとかもらうとかいうのが、太宰の世界の大きさを表現している。コミュニティーとか、他者のとらえかた。 K いつも自分は多数派になれない。 Y ここで長々と書かれた関係性の話は何を意味しているのだろう? S 全体を見ておく…

太宰治 「作家の手帖」 1943年10月 20200503読書会テープ

【はじめに】S 小説が発表されたのは1943年10月。作中に書かれた出来事としては、昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋事件。発表時と作中の出来事の時間に少しずれがあるようだ。時間を整理する必要がある。 時間の感覚が少し分かりにくい。「ことしの七夕は、例年…