太宰治「ヴィヨンの妻」その3

【ウントク・ヒョウトク】

S 「ケケケと妙に笑いました」というこの子どもを小説に書くのは、今だったらリスキーでしないでしょう。どうしてこの坊やは「阿呆」になっているのだろう?

Kこれは実体験ですよね。津島佑子が書いている。

S 実体験だからといってリスキーなことにはかわりないですよね。

H さっき福の神と疫病神の話をしたけれど、この子どももかなり福の神の部類ではないかと。悪いものを集めて落として来てしまうという間が抜けた神様のお話がありましたよね。この子供は疫病をどこかに落としてきてしまうような、そういう役割の子どもかなと。

S そうすると、この一家は魔物の一家ということになるかな。日本神話だと足腰が立たないヒルコが流された話がある。あるいはウントク・ヒョウトクという座敷童の話がある。口もきけないのだけど、お臍を突くと金をポロリと吐き出す。

YH いい子だなあ。

H 奥さんがいつもこの子を背負って移動している。福を招く力があるのかな。

S 厄とか福というのは、付いたり離れたり、落ちたりこぼれたりするもの。お金は儲けたり交換するものだけれど、付いたり離れたりする福の神の核心部分をこの子が負っているのではないか。だから不具の阿呆という印つきのこどもになっている。神性を示している。ここでも交換経済ではなく贈与経済の原理。

H ヴィヨンは窃盗団に入ったり、ルパンみたいな仮装をしてマスクをかけている、盗むというのをどう考えたらいいのだろう?

S 義賊というのは昔から金持ちから盗んで人に配っていた。鼠小僧とか和製ルパンがちゃんといた。

Y 大谷が義賊ということは、家父長制や貨幣制度や性の制度を壊すのは正義だぜということになる?

S 大盗賊にならなければ嘘だと。乱世には義賊がちゃんと出るはずなのに、日本政府ときたら、

Y 10万円は年末調整で返せと言ってる。

S 大谷は奪った5000円をクリスマスプレゼントだと言って人に配っている。浪費でありポトラッチ。

H ほんとに鼠小僧。

【おわりに】

H 奥さんが嘘をついて、実際にその金が来る、この奇跡の起こり方がいいと思う。ばっちり偶然タイミングがあってそうなった。

S 予祝と偶然は違う。言うとそれが実現していくのが予祝。

H その一言が現実を引き寄せた。

S 偶然とは違って、奥さんの意志、こうあってほしいという願いが入っている。この点が人間的なことだと思う。どうか椿屋さんにお金が返って欲しい、夫が犯罪者にならないでほしい、その切実な願いが実現する。

 これがキリスト教とは違った、私たちがことばにかける期待だと思う。神様に期待をかけるのではなく、言葉に期待をかけるのが実によいと思う。これが小説家の根拠になる。

 つまり、神様に願って奇跡が起こったのではなく、女性の切実な願いがそれを呼び寄せた、ことばがその奇跡を呼び寄せた。これが小説を書くことばの力だということ。神に願う西洋のあり方とも、偶然にかけるプリミティブなありかたとも異なる、予祝、言霊、ことばにかける期待、これが小説家の恃むところである。

 この小説にはそういう力がある。戦後に書かれたこの小説は、戦後にどういう世界があってほしいかを呼び寄せる作品なんだと。

K 作品が世界を変える。

H もう一つ気になったのは座布団と式台。飲み屋の夫婦が来たときも酔っ払いも式台に2枚の座布団を出す。外から来た人の場所、他者が入って来てよいところ。

S これは縁側でしょう。内でもあり外でもある、それ以上は入ってきてはいけない。だから汚されたとき、式台から家の中に入ってきてしまったということ。

K 家の境界領域。

S ネットワークとしての家はこの縁側でなくてはいけない。一杯飲み屋というのは、縁側だらけ、縁側だけでできた家である。そういうネットワークとしての家には、詩人のいる場所もあるし、女の生活が成り立つところでもあり、

K 弱いこどもが居ることができる家でもある。