清風読書会

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太宰治「ヴィヨンの妻」その2

【ネットワークとしての家】

H 妻が家を出たというのが大きいのではないか。家同士がつながる、飲み屋さんの家と大谷の家がいつの間にかくっついてしまう。僕は「清貧譚」が好きだから、家を出て、家に入ることに注目している。

S 家を出るという時の家は、家父長制の家。一方、飲み屋の家はネットワークとしての家で、いろいろな人が出入りして、通り過ぎて行く、ネットワークの結び目のような家。制度の家に対する批評だと思う。家父長制の家を批判して、ネットワークとしての家を提案している。

 ここで大谷の妻が汚されたとあるように、性的にも自由になる。女も性的に自由になり、みんなここで取っ替え、引っ替え組み替わってしまう。居酒屋の奥さんでさえ大谷とくっついてしまう。くっついたり離れたりを可能にするようなネットワークとしての家。これが家父長制の家制度への批判であり、批評。戦後の新しい家を提案している。

H 最後、居酒屋の家をのっとった形になって、今村夏子の「あひる」のようになって行くのかと思った。

S 「あひる」の方が家父長制の家を追認することになる、あるいは、家父長制の家から自分が追い出される話になっている。それに比べて太宰の方がよほどラジカルで、家そのものをネットワークにしてしまえと、ほんとにそう書いてある。

 お金を預けて置くというのも、交換としての金ではなく、そこからみんなが必要な額をとっていく、共産制のようなもの。100円あるときには大谷もそれを置いていく。置き金や投げ銭のような。

 変えなければならないのは、家の制度、貨幣制度、性の制度、そういう醇乎たる革命小説。

K みんなハッピー。

Y 思想を娯楽に落とし込んで行くのが頭良い。

S ヴィヨンのような色男を通して女がようやくフリーになる。

Y 制度をぶち壊す役割を大谷がして、制度の後を生きていくのが妻。家制度をぶち壊しているのは大谷。

S 家を壊すのと同じくらい女性の貞操観念を壊すのは難しいだろう。椿屋の主人は、色もでき、借金も出来と言っている。女たちは皆大谷と関係があるし、他の男もそれをみんな知っている。椿屋の妻が顔を赤らめる、これで非常にたくさんのことが分かってしまう。