【はじめに】
登場人物は、大谷という作家、その妻、こどもが一人。一方、上州から出て来て小料理屋を開いている夫婦。戦前から戦後にかけて大谷に魅入られたように酒を飲み干されてしまう。今回事件が起きて、年末の押し詰まって、ようやく5000円を集めてきて、これで仕入れをするはずだった。ところが大谷はその金をむんずと掴んで逃げてしまった。大谷を追って奥さんのところまで追いかけて来た。警察沙汰だと息巻くのを妻が明日金を返すと宥めて帰す。翌日店まで行ってくるくる働きはじめる。大谷の知り合いの女性が立て替えて5000円の事件は片付いた。大谷は女性と見ると手を出すたちで、小料理屋の妻とも関係を持ったらしい。お店は繁盛しはじめ、主人は身体も頭も具合の悪い大谷のこどもを跡取りだと言い出し、大谷の妻は住み込みになって、八方うまく回り出す。
【日本永代蔵】
S 時期としては戦後すぐの必死の時代、1947年の発表。身なりの良い奥さんが水酒を騙して売りに来るような。
Y 奥さんが最後の方になると、お若いわね、まだ未熟でいらっしゃるというように、成熟感が奥さんに出てくる。
S 奥さんが前半と後半で変わるよね。
H 家を出て行動を開始する。それまでは家で待っていた。
S 奥さんお幾つですかと言われて驚かれているから、相当窶れていた。それから中野の店に出るようになって、何だか色気が出てきて、くるくる働き出したと言っている。
時間としては大晦日の話。
K クリスマスイブの前日だから23日。
S この時期の話は、伝統的に、掛取、借金の精算、それを済ましてやっと新年が来る。日本永代蔵などのように、5000円を済まさないと、年が明けない、年を越すことができない。この大晦日の近代バージョン。
ところが5000円は済んでしまう。妻は嘘だと分かっているのに、この1、2日のうちにお金を持ってきてくれるという嘘をつく。その嘘が実際にそうなって5000円持ってきてくれる人がいる。それがすごく面白い。これは予祝。妻が言葉に出して言うと実際にそうなるというのが予祝。奥さんが何か言うと、それが現実に実現する力がある。
H 夫と妻は対照的に描かれている。夫の大谷の方は、疫病神のように、魅込まれたとか、魔物とか。妻の方は、居酒屋に入った途端一挙に繁盛して、福の神のように描かれている。
S 疫病神と福の神のセットが船に乗ってやって来る。
Y それは年末っぽい。
H クリスマスと年末が一緒になって奇跡が起こる話かなと。クリスマスおめでとうというのが面白い言い方。
S この夫婦には、教養差があり、貴族と庶民のような階級差がある。
K 貴族と言っても、男爵の別家の次男といういかがわしさ。
S 太宰の色の白さときたら、超モテ男。
Y これはやっぱり太宰なんですか。
S 太宰という文士の面影とフランソワ・ヴィヨンの下敷がある。ヴィヨンのというのは結構な文学者なんだけれど無頼で人殺し。誰か非常に有名なヴィヨンの小説を書いていて、それを読むと太宰とそっくり。大谷はそれをかなりなぞっている。
K 15世紀の詩人。司祭を殺すことになったとある。
H 窃盗団に入っているのも、大谷がなぞっている。
S 夜中に司祭に泊めてもらいたいと言って家に入れてもらい、その司祭を殺してしまう悪行。ええと、「ジキル博士とハイド氏」を書いた、「宝島」の作者、スティーヴンソンの小説「一夜」。表向きは非常に立派な紳士ジキル博士が、薬を飲むと人間の中に隠されていた悪い面が表に出て、夜中に出歩いて殺人や盗みをする。人間の二面性を非常に早く書いたのが「ジキル博士とハイド氏」(1886年刊)。「一夜」も、ヴィヨンという悪童であり、かつ神に最も近い人間を描いた。のちにドストエフスキーが書くことになるテーマ。「罪と罰」や、犯罪者であるとともに神に近い「白痴」のような作品、「カラマーゾフ」のような作品を書いた。「人間失格」でも、神様のような子でしたという台詞がある。
K この作品でも、神はいるんですねという台詞がある。3の後ろの方。「へんな、こわい神様のようなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」
S この辺りの会話が、スティーヴンソンやドストエフスキーと非常によく重なる。日本版のドストエフスキーの会話になる。
HYK なるほど。
S 太宰は常に聖書とかキリスト教を作品に書くが、信仰があったとも思えないので、よく分からないが、先にドストエフスキーを学んで、ドストエフスキーの葛藤が神の問題だということになると、神がいないとこういう葛藤が書けないという逆のコースなら、分かるような気がする。
Y すごいなあ。神がいないと葛藤ができないというのは。
K 単純に信仰があったとは思えない。
H 確か神様は信じないけれど聖書のファンだという言い方をしていたと思う。
S ドストエフスキーを読んだら、なぜ人間がこんなに深刻に悩んでいるんだろう、私たちはこういう風には悩めないのではないかという、そういう気はしない?
K 3日経てば状況は変わるだろう。3尺流れれば水清しというのが私たち。
S つまり、ああいう文学作品で、人間が死ぬほど悩んで、死ぬほど葛藤して、死ぬほど長い小説を書くという体力も精神力も、畢竟私たちにはないんじゃないかという、そういう絶望感。
H 確かに。神がいないと葛藤がない。
S 神様のような人がいて3日前のこともちゃんと記録して覚えて置いてくれないと、私たちにはこういう深刻な葛藤はできないんじゃないか。
Y 流れていくスピードも早い。
K 甘利なんかでも私は決して忘れないぞ。
S この居酒屋の夫婦だって、大谷が毎回毎回酷いことをしているのに忘れてしまう。そうしてズルズルと戦前から戦後にかけてずっとお付き合いが続いている。
K あまりに呆れて笑ってしまう。
S これ奥さんが出てきてからです。殺気を帯びて追いかけてきた主人が、奥さんが出て来ると、怒りがふーと消えてしまう。
Y 奥さんのヴィジュアル、このあたりから神々しくなっていく。
S これがヴィヨンではなくヴィヨンの妻が主人公になっている理由。大谷はヴィヨンのパロディ道化にしかなれない。神がいないので、ああいう深刻な葛藤を悩めないとしたら、大谷は道化になるしかない。