清風読書会

© 引用はアドレスと清風読書会を明記して下さい。

太宰治 「作家の手帖」 1943年10月 20200503読書会テープ

【はじめに】
S 小説が発表されたのは1943年10月。作中に書かれた出来事としては、昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋事件。発表時と作中の出来事の時間に少しずれがあるようだ。時間を整理する必要がある。

 時間の感覚が少し分かりにくい。「ことしの七夕は、例年に無く心にしみた」と冒頭で言っている今年は何年か? 

K 1937年よりあと、1943年までのうちのいつか。

S では仮に1938年とすると、そのあとに「7、8年も昔の事であるが」と谷川温泉へ行ったのは1930年か31年。これは柳条溝事件の年に、ぴったり符号する。

 そして、昭和18年=1943年頃には敗戦色が濃くなる。物も不足して、人々は内心ちょうど今の私たちのコロナの状態と同じように、いつ負けて終わるだろうと思っているのが1943年。しかし負けるとは決して言えないし、今だって私たちはコロナに負けると言えないでいる。  

 つまり、1931年満州事変を始めた時、人々が勝つつもりでいた頃と、敗戦が確実になった1943年の二つの時期の対比があり、二つの時期の間に心的なズレがあるというのが小説の背景。

 おさらいしておくと、1931年の柳条溝事件。これは日本軍の謀略だと言われている満鉄爆破事件。日本軍はやらせ満鉄爆破を口実にして満洲全土を5ヶ月で占領する。そのあと、1937年7月7日に盧溝橋事件があって、日中の全面戦争へ拡大する。さらに最後のところでアメリカの女性の話が出ているが、アメリカ参戦は1941年12月のパールハーバー

K 「ヴィヨンの妻」には、昭和19年の春に、大谷は国民服ではなく久留米絣の着流しに二重回しの姿でやって来たとあった。(S この語り手は酒屋の主人で、「対米英戦もそんなに負け戦ではなく、いや、そろそろもう負け戦になっていたのでしょうが、私たちにはそんな実体ですか、真相ですか、そんなものはわからず」とあり、一般人は昭和19年になってものんきに外出していたが、この作品の語り手は作家であり、真相をよりシビアに見ていたと推測される)

S 昭和18年になると物もなくなり、この年の本は紙が悪くてパリパリになる。

K 物がなくなるのは昭和18年よりも19年、戦後になると物がもっと不足していたのでは。戦後、本を出版するのに紙を持って行かなければならなかった。

S 物資が不足していくということがこの小説で問題になっているのではなく、もう少し象徴的な変化が昭和18年=1943年にあったのではないかということ。戦局が悪化し、負け戦へのターニングポイントになったのが1943年だろう。(1943年2月ガダルカナル撤退、5月アッツ島玉砕。国内向けの大本営発表では、撤退を「転進」と報道して、戦局を偽装した。)

S 1931年から1943年の時代背景を綿密に計算して設定しているようだ。ほんの短い小品であるのに満州事変から敗戦までのきわめて厄介な時期を総体としてあつかっている。

【少女の献身】

K 少女がつつましいと言っているのは、どういう意味なのか、何だかどこかで騙されている感じがする。読者を騙している感じがする。女に戦争の勝敗はかかっているとか、作者は時節柄こう書かざるを得なかったのか?

S それを考えるために、背景を確認して、時間が二重になっていて、戦争に勝つだろうと皆が思っていた1931年頃と、誰もが負けるだろうと思っている1943年頃、この二つの時期に、心情のズレがあるのを今確認したところです。

S 「オ星サマ」の少女の歌の時期はいつだろう?

K 谷川温泉へ行ったとき、少なくとも1938年以降。

H「ことしの七夕」と7、8年前の七夕があって、少女の歌は、「ことしの七夕」つまり1938年の歌だろう。

Y 前に見た短冊は、少女は、針の上達とか自分のことばかりしか書いていないけれど、今年の三鷹の短冊は、少女はお国のために何でもということを書いていることになる。

S そう、そういう変化がある。1931年の少女は自分のことばかりだったが、1938年の少女は国をお守り下さいという風に変化した。少女の短冊の内容が変わっている。少女が変わったのも怖いし、それを太宰がどう書いたかというのもただならぬ問題。

H そうだったのか。

Y 今年もコロナで少女たちは短冊に色々書くんだろう。

S   今だって、コロナで自粛というけれど、どこへ行くのだって自分の自由だと思う一方、自粛しないと伝染して死んじゃうから仕方ないというのもある。では、コロナ についてどういう意見ですか?

K 自分がかかるのがいや。

Y みんながかかるのがいや、こどものためとか周りの人たちのため。

H こどものためですね。

S 自分のためもあるけれど、こどもに関わるみんなのためだね。こどもは学校へ行かなければならないし、就職もしなければならない。そういうこどもの未来を含めた周りの人々にかかってほしくない。つまり、自分がかからなければいいというのと、その周囲の社会が壊れないでほしいというのと、それから国とか世界とか、この3種類がある。

 少女の短冊でいうと、自分からすぐに国家へ飛んでいて、社会のサイズのところが薄い。社会の部分が欠けていることが気になる。

K 7、8年前の慎ましく生きているというのは当時の正常なあり方で、自分の子どもの頃と同じで、それを見て太宰はほっとして、生き返った気がした?

S そうかな?