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中原昌也「待望の短篇は忘却の彼方に」2003年春刊その2 20200523読書会テープ

【新聞紙】

H 剥製も、そこにないはずの身体が加工されて、現在に存在するわけですね。

S 中身をくりぬいて、過去・現在・未来という時間の流れから疎外されてしまう、ずっと滅びないで元の姿のままでいる。剥製とは時間を止めること。

Y 新聞紙もある意味で同じ、その時の時間を切り取るものですね。

S 短篇集というのは新聞記事と隣接性がある。新聞記事の隣に短篇がある、小説の歴史的な起源なんだね。新聞に切り取られたコラムや小さな事件をとりあげて書くと短篇小説になる。

H なるほど新聞自体が短編小説集ということか。

S この小説の中でも、新聞記事から切り出したような断片がたくさんある。その辺の新聞から目にとまった記事を書き抜いている感じの出来事。

K 連続放火事件とか、女子大生射殺事件も。

H 新聞紙で紙飛行機をつくって飛ばないということがありますよね。新聞記事で小説を作っても届けられないということになりませんか。紙飛行機を作るというのは作品を作るということですから、作品を作っても届かないということ。

K 完成しない。

S うん、完成しない。そうすると、よく飛ぶ飛行機というのは、ありきたりの通俗小説ということにならない? 中原の小説は断片の手触りだけで成り立っていて、ストーリーやお話になると墜落してしてしまう。

H 紙飛行機はこれですっきりした。

Y 最高の小説は忘却の彼方にということ。

K 意味が通じるものではないと。

S 自分は、飛ばない小説を書いているんだという宣言。

Y 部屋は中原の頭の中でしょうか。それは部屋に日々積み上がって世に出はしないと言っている?それは忘却とは違う気がする。

K 不必要な新聞紙とは不必要なもの?

S 毎日毎日出る新聞は忘れて構わないゴミになっていくもの、そういう日々忘れられていく新聞記事に対して、小説たるものは忘却の彼方からちゃんと浮かび上がってくるということにならない?

Y それならばしっくりくる。

H 新聞とは違って、小説は浮かび上がってくる。

S あなた自身がその忘却の彼方から探し出してくるしかないという題名に思える。断片の中から、あなた自身が拾い出してくるしかない。そうして私たちは今その作業をしている、断片の中から中原の小説を拾い出そうとしている。

 老婆の昔語りも途中のまま、飛ばない飛行機と同じで、こういうお話は一切語らないという宣言。

H はじめの植木鉢の由来を語ろうとして語れないでしまうのも同じ。

S なぜ自分は植木鉢を売るようになったかというのは、いわゆる自伝小説とか成長小説の典型。お話になろうとするものが次々挫折していく話。自伝小説とか教養小説とか、そういう小説は一切書かないと中原は言っている。これもしない、あれもしないという小説論なんだね。

H 中原は、小説を書かずに小説を書いているようなもの。

Y 読み慣れているものがざくざく切られていく。中原スタイルの宣言。

S 少し面白くなってきたぞ。