清風読書会

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ヘンリー・ジェイムズ 行方昭夫訳「嘘つき」その2 20230218読書会テープ

【秘密】

S 画家が肖像を描くということと、小説家が小説を書くということが相似形になっていて、小説についての小説になっている。その構造をもう少し明らかにしたい。

 真ん中に何を置くかという最初の話に戻ると、大佐という特異な人物を置いていると考えることもできるし、嘘を置いているとも考えられるし、間に肖像画を置いているというのが絵画小説としてのこの小品の特色ではないか。

 オリバーは人を見るときに肖像画としてどうかと常に考えている。人を観察するとき間に絵を置いて考える、これがオリバー特有の見方ではないか。

H 肖像画を依頼された人の息子に会った時も、この人は肖像画にならないなと言っている。値踏みをしている。

S ライアンは絵に描かれた肖像こそ自分にとって現実であって、実際の現実から離れている人。逆に、大佐は、結婚して生活を成り立たせていて、現実そのものを生きている。現実を生きるか、肖像画の世界に生きるかという対立ではないか。

 そうすると普遍的な問題として、ヒッチコックの「めまい」のような話になる。肖像画の中の女性を愛するか、現実の女性を愛するか。

H 普通に読んだら、大佐たちの方が嘘つきで現実を生きていないと思えるが、現実に結婚して、世渡りのなかで面白い話をするために嘘をついている。

S 私たちの現実は嘘でまみれている。嘘と体裁と取り繕いに充ちている。つまり現実そのものを大佐は生きている。それに比べるとライアンはものすごく教条的で、うるさい黙れ、おまえが生きているのは絵に描いた餅だろうと。まるで逆転してしまったね。

H 最後のところで、夫人は、あなたにはお気の毒でした、でも私は絵のモデルをちゃんと所有しておりますと言っている。ここすごいですね。

K いままでの話をまとめるとこうなる。

H ライアンは絵を所有し、夫人は絵のモデルを所有している。

【家の構造】 

H ライアンの家の構造もへんですね。みんなが通る召使いに案内されて入る扉からの印象と、簡単に入れる庭からの入り口からの印象が違う。入るところによって部屋の印象が違う。対比している。

K アトリエが一階にあって、二階の回廊を通らないと一階に下りられない。

S 絵そのものの構造と、アトリエが同じ構造をもっている。見方によって見え方が異なる。このアトリエの描き方と、漱石の猫の家の構造とがどこやら似通っているように思える。

K 漱石の猫の家の説明もよく分からない。垣根がどこにあるか。

S 仕切りのカーテンを開くと回廊に通じるドアがあるとか、アトリエは増築されていて継ぎ足してある。通路や回廊というのが境界領域になっている。この複雑な建物の構造が絵の構造と相似形なんだろう。

H 最初の屋敷の構造も同じで、新旧継ぎ足してあって、廊下が長いと書いてあって、その先の部屋に幽霊が出る。

S 建築についてもジェイムズは趣味があって、そういうところも漱石と似ている。

【ゆく末あはれ】

S 犯人にされた女性がよく分からなかった。ジプシーみたいな女性で、顔立ちは悪くなく、「ほんもの」の何にでもなれるミス・チャームに似ている。

H 大佐の嘘の犯人にされた。

S あらゆる虚構に対応できるモデル。このモデルがいかにもうらぶれている。初々しい感じはしないとか、ひどい靴を履いて、どこか薄汚い感じ。この薄汚さと、大佐夫婦の生き生きした楽しさとが対になっている。

 絵やフィクションとは関係ない人たちは、非常に健康的に現実を生き抜いている。逆に、モデルや役者は、現実以上に薄汚く年老いていく。その隣に、非常に立派な絵が残り、舞台が残っていく。絵に魂が吸い取られる。この女性の薄汚さは身に染みる。すべからく芸術に関わるとこういう罰を受ける。

H 三代目桂米朝さんが好きなんですが、入門するとき、ゆく末あはれは覚悟のまえやでと言われたと。

S 富岡多恵子の「たちぎえ」の落語家もそうだったね。

I その女性はライアンは会ったことがないと言っていたけれど、ライアンは前に描いたと思っている。絶対会ったことがないと言い切っているのが逆に嘘つきで、使い捨てで、消費されてしまった人だと思う。

S  若さと美しさと生気は全部吸い取ったからお前は用済みだ、カスは出て行けということだろう。ライアンは相当ひどい。

H もう絵は手に入れている。

S この夫人がライアンの絵を手離したのもそういう意味があるかもしれない。ライアンに関わっているとろくなことにならないと。(その絵は、バタつきパンを子供に配っている絵で、聖女の肖像。理想化された観念の肖像だった。)

I 娘のエイミーの肖像を描くときも、毎回ついて行って非常に警戒している。

H エイミーの絵を描いているときも、夫人が自分に気があるのではという勝手な妄想を描いていたわけだ。

I 君の絵は眼を瞑っていても描けるよというセリフにぞっとした。ホラーですよね。

H 本人はもう全然関係ないわけだ。大佐の肖像も眼を瞑って描いた。

S 大佐が嘘つきだという観念を描いたわけだ。すぐれた肖像画家は人物の本質を暴き出してしまうのだとつい読んでしまうのだけれど、読者はここを読んでライアンは嘘つきだと気づかなければならないのだね。Iさんすごい目のつけどころ。

I ライアン気持ち悪いで読んだから。

S これはライアンを疑えという小説。

H ライアンは、大佐を装ったと言って、自分が絵を切り刻んでしまったと召使いに答えるところが、ちょっと引っかかったのですが。

S なぞるとか装うというのが気にかかる。

I 嘘をつくのでも大佐を装ってする、自分自身は嘘はつきません高潔ですという意味でしょうか。

H   Iさん、ライアンの嫌なところを見つけるのめざといな、ライアンのことはIさんに聞こう。