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今村夏子 とんこつQ&Aその3 読書会テープ20221016

【全面的マニュアル化】

S 私たちの生活全般が全面的にマニュアル化したということがある。仕事も教育もハンバーガー店もマニュアルの方が地道に素でするより効率がよいということになった。その事態と、この小説がよく符合する。自律より洗脳型の方がうまくいくとみんなが思い始めると、こういう事態になる。

I 耳が痛い。マニュアルがない仕事はいやだなと思うし、早くマニュアル化して誰でもできるようにしないと効率的でないと言ってしまう。製造業の合理化は徹底的に進んだ。

H 教室でもテストで点の取れる教え方をしてくれと言われる。

I マックでアルバイトしていた頃、まるで宗教みたいだと思っていました。ゲームでやり方をたたき込まれて、できる人はスペシャリストとして崇められる。

S とんこつは個人商店で、そういう効率化とは一番遠いと思われるのだけれど、そういうところでマニュアル化が起きてしまう。全面的に浸透してしまった。

K マニュアル化した方が応対がよくなるからそうするのですね。

S わたしの丁寧な接客は最高益をたたき出したとあるから効果的だったのでしょう。

H 実際はどうでしょう? 路地裏の個人商店でもホットペーパーに載っている。

S 二人目の募集の時、今川さんは町のペーパーに載せて募集すれば集まると言っている。

I 常連さんも来ている。

S 町の食堂の常連さんが、おかみさんと呼び始めた。

I そもそもこういう店でセリフをQ&Aにできないですよね。

S 架空だよね。前半はしゃべれない発達障害的な主人公がメモを使ってしゃべれるようになるという現実的に想像できる話だったのだけれど、後半になるとカードの数が増えてしまってバージョンアップしすぎて架空の現実になっていると思うんだけれど。

H 自分のまわりにも個人経営の店がたくさんあるのですが、下町感をものすごく演出している感じがする。チェーン店に対抗するには、こっちの路線でするしかない。いわゆる下町いわゆる大阪のイメージをやっている。一周回ってそこもマニュアル化している。

S プロデューサーというか演出家が入っているのでは? パン屋がそうではない? やたら派手な演出をした店があちこちに出ている。

H 筋書きを書いている人がいるということですよね。また、スタバなどのチェーン店でも、やたらフレンドリーに話しかけるというマニュアルに従っているような気持ち悪さがある。

S 広島に近い中国地方の比較的小規模の弱小な商店街を、今村さんは描いている。そうすると、こういうことかな。私たちの最後の生活空間も、マニュアル化して、ある種の超バーチャル化した世界に飲み込まれつつあるということ?

HIK それは実感がある。

I 今村さんはもともと広島出身ですよね。

S 安佐南区出身と書いてある。

S 私たちの現実は、生の生活空間ではなくて、演出なりマニュアルで作られた現実になっている。その中の勝者は、こういう書く人、演出家、プロデュースする人。

K 言葉を作る人が支配する。

S それは古代からそうで、書記がもっとも力をもつ。

H 家庭もそういうところがある。友人でも、子供が生まれた瞬間にホームドラマのお父さんになってしまう。何かの見過ぎではないかという違和感がある。

K 役割を自分で決めるわけですね。

H いろいろなところにいろんなシナリオが落っこちていて、どれかにもとらないと生活できない感じがある。

I あります、あります。

S セクハラ発言もそう。

K どれがセクハラか分からないからマニュアルが必要になる。

S いかにも日本らしい。付け焼き刃で変える。自ら考えて自律的に変えるのではなく、安全そうなマニュアルにのっとる。模倣・らしさが求められる、これは日本怪談で西洋怪談にはならないだろう。

K 同調圧力でしょう。

S 今村夏子さんすごいよ。

I 予言の書ですね。

【問いを立てること】

I 私の夫が最後のところのQ&Aの78億の数字を数えているのが面白かった。

K いくらインデックスつけても見つけられない。

S 私たちのセリフ・行動に一つ一つに番号が振ってあって、ちゃんとマニュアルに載っていると考えると、その通りかもしれないと思える。 

I コンビニ人間のテーマと近いなと思ったのです。

S はじめ発達障害の話だと思って読んでいたけれど、途中から発達障害問題は飛んでいってしまって、私たちそのものの話だと思えてくる。読んでいてしみじみ面白く、しみじみ自分のことだと思えてくるのが、何ともすごい。

S 私たちのこの洗脳型社会で、これで平和で快適に幸福にやっている。宮台真司のいう感情の劣化した社会。最後のところみんなハッピーで万々歳というふうに書いてあって、それにどっぷり浸かっている。

H これどうしたらいいのだろう?

I 怖いなと思うけれど、出たらそれでいいのかとも思う。

H 出たら中原昌也になってしまう♡

S 私たちは月に一回ぐらいこうして読書会をして、これで正気でいられるんだけれど。

H とんこつQ&A自体がQになっていて、私たち読者がAを出すという話をしましたが、 この小説を読むことで、自分の言葉がマニュアルなのかなとか、セリフなのかなと、Qが浮かぶだけでも大進歩ですよね。

【書くこと/読むこと】

S 日本社会は今回のコロナ騒動で少し変わった。女性も少しは働きやすくなった。対面ではなくリモートになったことで。対面で直接接していると同調圧力が強まるのだろう。この小説は、意図的にコンピュータを排除して書いているよね。手書き文字で、書き直しもすべて手書き。

I コンピュータだと予測変換なんかが出てきてしまう。

S 最初のメモもそうだし、ぼっちゃんは子供っぽい文字でアルバイト募集を出した、とある。手書きは、コンピュータと違って、文字の力を身から離さずに持っている。

 それから、黒電話! この小説の年代は2021年とはっきり書かれている。そうすると21年に携帯を持っていない人はいないし、黒電話はもちろん使われない。

H 大阪弁を調べるのに、辞書を調べている。

K 図書館へ行っている。

S もう一つ面白いのは、箕面のお母さんが大蛇を身にまとっている写真があって、その大蛇の手触りを丘崎さんが再現してセリフだけで言えるようになっている。皮膚感覚を再現しているのが面白い。コンピュータが間に入ると違ってきてしまうんだけれど、あくまでも写真なんだよね。

 写真が三枚。え?写真三枚、、、なるほど、太宰か?

H 『人間失格

S 死んだお母さんを何とかして蘇えらせようという話。

HIK そうか太宰治か。

H 人間失格の写真三枚の一枚一枚にストーリー手記がついているが、その手記は誰が書いたかという謎が先回の読書会で出ていた。

S 写真一枚ずつについて、今川さんがセリフをつけた。大蛇の感触とか、しゅんが大泣きして目の縁が赤いとか。

H ほんまじゃ。『人間失格』の三枚の写真が写されている。

S 先ほどは、Kさんが、『ヴィヨンの妻』で四人が支え合ってフィクションの生活を作り出すと言っていた。太宰治の書き直し問題では、書いた者が強者になっていく、真相はこうだったと次々書き直していく。しかし、この小説では基本今川さんしか書いていない。神になった今川さん(木になった亜沙)は、このあとどうなるんだろう?

 太宰の現実と私たちの現実は少し離れすぎているかもしれない。太宰のあとを書いてくれる作家がいてほんとうによかったと思う。

K 『星の子』のときにも日記を書いている。

S この場合ぼっちゃんと今川さんとの結婚のように、宗教二世の結婚で引きずり込まれて出口がない。書くことが新しい何かを発見するのではなく、既成の幸福な家族のイメージを再生産してしまう。書くことの力は限界。

S 通説的には、書く読む/話す聞くが対立している。文字に対する語り。そうすると、この小説で、語りとか直接性とか聞くというのが力になっている可能性がないか?壁のしょうゆのシミとか、あははとか、

S 電話のベルが鳴る、それが決定的な事態の変化を引き起こす。今川さんも丘﨑さんもそうだった。音は他に出てこないか?

I ボイスレコーダーが出ている。

S これは選ばれて小説に入ってきているアナログ機器。写真もボイスレコーダーも似ている技術で、現実と接してアナログにそれを写す。

I ギョウザの出来上がりを知らせるアラーム音のベルが出ている。

S いいね、バネで動くキッチンタイマーの音、アナログな音。ぼっちゃんの進学問題が話題になっていたとき、この音によって切断されて途中になった。

S この私たちの現実に、時々ベルの音のようなはっとする音がして、みんながはっと気がついたりする。例えばそれが銃声一発だったりする。今回あの銃声で少し変わりはじめているじゃない? 自民党がおたおたしはじめた。あんなことは誰もできなかった。

 銃声一発で変わるのは怖い話なんだけれど、この小説はきわめて予言的。あるとき小説家は時代とシンクロしてしまうものだと思う。シンクロして一歩先を語ってしまう。

K あの銃だって手作りなんですよね。

S アナログ機器。

【了】