清風読書会

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今村夏子 とんこつQ&Aその2 読書会テープ20221016

大阪弁ネイティブ】

S 大阪弁のところ、Iさんネイティブで発音してみて下さい。

I あめちゃん食べる、ああおもろ、ほなさいなら。ちゃうちゃう、おかみさんとちゃう。

S 「あなたじゃないねんだから」というのも、もう絶対ネイティブじゃないと発音できない。

I 大阪弁って特殊ですよね。広島にいて広島弁を使っても誰もとがめないけれど、大阪弁は、大阪に来た人が大阪弁を使おうとすると、はいエセ関西弁みたいに、すぐ非難されて分かるんですよね。

S 偽大阪弁はすぐ見破られるという大阪弁特有の特殊性がある。

H 「あなたじゃないねんだから」というのは大阪弁なんですか? 「だから」のところ。 

I ああおかしいですね。

H ここがハイブリッドになっている。

K「ないねんやから」にはならないですか?

I 「だから」は標準語ですね。「あなたやないねん、せやから」というかな。

H 大阪弁の真似だから、ハイブリッドになっているわけだ。

S 「おかみさんじゃないんだから、アルバイトなんだから、あなたじゃないんだから」と三文がみな「だから」でつながっているから、この「だから」は書かれた文章語では? 次の「わかった、返事は」、これは東京弁あるいは標準語ですね。

【三つのとんこつバージョン】

S このあと、無理矢理使っている大阪弁から、さらにもう一つ変わっていく。

H 整理すると、一回目の大阪弁は、ぼっちゃんに言われて大阪弁を使ってみたけれど、自分らしくないから自分らしい言い方に直した。

S 二回目の大阪弁は、大阪弁をあえて使い始め、パットを入れて化粧を明るくしておかみさんに化ける。このあとの変化を繊細に確かめる必要があるだろう。

S 次は大阪バージョンを読んで仕事をしていたときに、一つの事件が起きる。レジに人がいない、丘﨑さんをレジへ向かわせるために、わたしが一つのメモを読み上げた。そのメモを書いたのはぼっちゃんで、ぼっちゃんの指示に従って、「おかみさんレジお願いします」と読み上げた。ここが怪談。返事をしたのは、大将の書いたメモを読み上げた丘﨑さん。それでうまく事態がおさまった。

H 今川さんは今まで自分の書いたメモを読んでいたのだけれど、ここでぼっちゃんのメモを読むのがかなり大きな変化。

S ロボット化。これはAIに言葉を教える現在の事態にも通じるだろう。ここにはいろいろ面白い問題がある。

S それから4年うまくやっていた。しかし、そうはいかない。ロボット化を三回目の転機だとすると、四度目の変化があるのでは。

S 15周年を4人で祝った。おかみさんと呼ぶのに苦労したので「おかみさん」のメモをもち歩いて、なんだか原点に立ち戻ったみたいだったと、ここに変革の兆しがあるのでは。次に、大将とぼっちゃんが丘﨑さんをおかあさんと呼び始める。丘﨑さんは、大阪バージョンを開いて「はあーい」と答える。

S そのあと、わたしがとんこつQ&A家族バージョンの制作にとりかかったのはこの頃からだとある。これが4回目の転機だろう。わたしが演出家となり、神となり、すべての支配者となる。それってかなりまずいのではという展開。人の指示に従うのもかなりまずいけれど、自分が支配者になって指示を出すというのはもっとまずいのでは。

H 洗脳側になるということですよね。とんこつQ&Aというマニュアル本は、家族バージョンで3冊目ですよね。普通のとんこつQ&Aと、大阪弁バージョンと、今度の家族バージョン。

S 転機の数とバージョン数がほぼ連動している。大阪バージョンには丘﨑さん用と今川さん用の2冊ある。

【とんこつ日本一家】

H 家族バージョンがいちばんぞっとする。

S それで幸せを作っているという。

K 幸せのお返しをしたいと言っている。

S まるで習近平のようではないか。絶対支配を認めさえすれば平和と繁栄を約束する。ここ数日の全人代で3期目が決定して永久政権になるらしいよ。

H 家族バージョンが出て、ときどき丘﨑さんの様子がおかしいというのがめちゃくちゃ怖くないですか。

I 大将と二人きりの時にあばれたりする。もうどうしよう。

H なぜ大将と二人きりの時間があるのか。

I そうなんですよね。

S 追記 丘﨑さんには適応障害という病名がつくだろう。天皇家に入った雅子様と同じ病名。太宰の「グッドバイ」は手切れ金を渡して女たちと別れる話だけれど、戦後のアジア諸国と次々と国交回復をした岸信介の寓意として読めるという話をしたけれど、太宰を経由すると、とんこつ一家とは日本一家と読めるんじゃないかな。

S 「基本的には変わらない。しゃべるより読むのが得意なおかみさんだ」とある。ここあたりが現代社会の私たちの姿であるように見えてくる。日本は自由かというと、こんなにいろいろなぼろが出ているのに政府は倒れないし、誰も辞めないし、やっぱり私たちは支配されているんじゃない? 知っていても、知らないふりをしているんじゃない?

H もしかしたら希望?絶望なのか、丘﨑さんが自分でメモを読むようになって変化の兆しがないですか?最近はメモをこっそり黙読していたりするとある。

K どういう役割を果たしたらよいか自分で決めようとしている。

H 内面化が起きている。

S だけれど、そのあとに、おかみさんには悪いけど、それは難しいと思うとあって、加筆修正を繰り返しているから丸暗記することはできない。

I 怖い

K 加筆修正は永久にすると。

H じゃあ出口はないのか。

S そしてその加筆修正をする役割をわたしがするから、わたしは必要不可欠な人間になった。

H 丘﨑さんの希望はここかと思ったが、やっぱりだめか。太宰治だったら加筆修正は希望をつくることになったが、ここでは出口をつぶすことに使われるのか。

S 毎日毎日わたしが加筆訂正するんだからと。

I やばい

K あやういバランスで4人だけだったらこれでいけるかと思った。

S それが私たちの陥っている小市民的生活。毎日毎日政治家は少しずつ加筆修正しているでしょ。私たちはその修正に合わせて少しずつズレていく。しみじみ幸せな生活なんでしょう? やだなあ。

H 『星の子』のときは、最後に3人で星を見上げていて、そのときにお父さんがくしゃみをしているのが希望ではないかと話しませんでしたか? 洗脳されているときは命の水で風邪一つひかなかったけれど、くしゃみをしているから洗脳が解ける兆しになっている。そういう出口というか希望はこの小説にはないのか?

S それを捜さなければいけない。『星の子』では三人が流れ星を一緒に見ることはなかったとあって、三人の見ているものが少しずつズレるというのが希望だった。とんこつQ&Aにはそういうズレはないだろうか?

I えー。

H どうすればいいのだろう。

【出口なし?】

S そのあとで「今川さんが大好きで結婚したいくらい好き、あ言っちゃった」このへんが怪しくない? ここ、今川大明神のように、神様になった今川さん、このあたり、ちょっと褒め殺しのような気がする。この褒め殺しがひっかかる。

I 大将やぼっちゃんのせりふも今川さんが作るようになったのですよね。

H 書きながら自分で返事している。

I Q&Aの番号数字が最後には消えるけれど、これに意味があるかな。

H Q&Aになっていないのか。

S 消えたあたりから褒め殺しになっているんだけれど。

K ここからあとは書いたものではないのでしょうか?

H Q&Aの受け答えがノートに書いてあるより、Q&Aじゃないセリフまでノートでセリフとして確立されてしまう方が洗脳の深度が深い気がする。つまりどんどん希望がなくなっている。

S 数字が消えて、洗脳がより深くなっているように見えるということね。

S 結婚したいくらい好きはどうだろう? 何か関係の変更がありそうなんだけれど。

H ぼっちゃんと今川さんが結婚したら。

K 年齢的に可能性がないことはない。

S ぼっちゃんの後姿を盗み見るのが好きだったというのがあって、あの延長上にあるか。仕事も全部ぼっちゃんに教えてもらっている。頭が上がらないと。

 つまり統一教会の信者二世が結婚の自由がなくて、信者以外結婚ができない。これと同じ事が起こるんではないか? なにか今日の騒ぎを予告しているような小説だね。

H 2020年に発表している。

K 予言ですね。

S この騒ぎの前だから予言だね。『星の子』のときはまだ希望が持てたけれど、今日になったらまるで出口もなく、身動きもできなくなっている。

H おかみさん=マザームーン? ぼっちゃんと今川さんも二世の結婚になるのか。

K この共同体からは出られないということ?

S 今川さんを出さないためには僕が結婚するよということね。今川さんがここを出て自殺するんじゃないかというところ、あれを追いかけて、絶対に引き留めなくっちゃ、とあるところで、僕と結婚しようと言い出しそう。両親を別れさせないためには絶対今川さんが必要だということになれば、ぼっちゃんは何でもするから、そうなるよね。

H ここはどうですか。ぼっちゃんは進学しないで店を手伝うと言っていたのが、今は高校へ進学した。今川さんのシナリオから少しはみ出たのではないか、ズレが生じているのではないか。

I ぼっちゃんの意志は進学しないだったけれど、今川さんのシナリオは高校ぐらい出ておいたほうがいいよという変更がある。しゅんが外の世界へ出ていって、別の価値観をとんこつ家へもち込む可能性がある?

S 義務教育の中学とは少しだけ違って、高校は自立への手がかりにはなるか。

K わたし=今川さんの後継者になる?

S それは難しいだろうなあ。いままでの今村夏子の小説だと、弟とその妻が家を継いで姉である私は二階で引きこもり。その私が台本を書くことによって支配者権力者の役割を見つけたということになる。革命的反転ではある。

S 最後の褒め殺しのところ、読者がこれを読んで、これではだめだと読んでくれればよいということかな。こんなに何もかもうまくいく平和で幸せな家族ができました、はいこれでいいですか、という問いかけであるとすれば希望になる。読者だけがそれに気がつける。

H そうか、この小説自体がQになっている。ぼくらがAを出さなければならないわけだ。

I おー。

S この状態を抜け出すのは、あなたたち一人一人の仕事だということか。

K そのことと高校ぐらい出ておかなければというのとはどう関係するのでしょうか?

S 追記 ぼっちゃんの進路が変更になったことは、メモを書くのは誰かという問題だと思う。メモを書いているのはほぼ今川さんだが、ぼっちゃんがときどき今川さんを助けるためにメモを書いて差し出している。大将も丘﨑さんへメモを書いて差し出している。二人は、お母さんの役割のセリフをQ&Aに書き足して、それを丘﨑さんにしゃべらせている。つまりメモを書く人は支配者になり、メモを読む人は支配される。

 メモによって丘﨑さんをおかみさんと呼ばせることに成功したぼっちゃんは、こんどは今川さんが書いたQ&A家族バーションによって、行くつもりのなかった高校へ進学させられたということになる。つまり書くことと読むことには権力闘争がある。

 この権力闘争には、太宰治の『斜陽』で見たように、誰がストーリーを書くかによって出来事の意味が変わること、まず弟が書き、次に姉が書き、修正加筆されていくことが踏まえられているように思う。

【つづく】