清風読書会

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太宰治「作家の手帖」その4

アメリカの母さんと日本の母さん】

S 最後の段落でアメリカの女と日本の女というのが表に出ているところがひっかかる。これをどう考えたらよいか?

K この最後の段落3行か4行、これは書かされたのか、ご時世か? だから騙されているという感じがする。

S 日中戦争は1941年にアメリカが参戦して対米戦争になる。この作品が発表されたのが1943年だから、アメリカ参戦問題が、この最後の3行に入っているということにならないか? 恐い小説。このアメリカの婦人問題は、日中戦争の太平洋戦争化に対応している。そして、女たちが戦争の鍵を握っていると言っている。男の戦争と女の戦争の対比がある。

S 気障で気絶のまねをするアメリカと洗濯する日本の女という、心とか精神とか文化的問題。男たちは競争し、勝ち負けを競うが、女たちはそれとは違うところにいる。

K ネズミを見て気絶するというのは男性に見せるためだろう、それに対して、日本の女たちは洗濯して個人として自足していると言っている。

Y のんきと美しいが並列すると違和感があるのですが。

S のんきで美しいというのはかなり異様でほとんどありえない。

K 洗濯するのがのんきは分かる、夏に井戸水に触っていれば涼しく気持ちよい。

Y 美しいも分かるし、のんきも分かるが、のんきで美しいが合わさると途端に変なの。

H 組み合わせがびっくりする。

S なんだか変。何が変なんだろう? 無心にというのがある。

Y 中動か? 洗濯は中動じゃね? 授乳も中動。差し迫っているからやるけれどやりたくてやっているわけではない。

K 家事一般が中動。家事は自分のためでもあるから受動だけではない。

Y 職員会議も中動では。

K事務仕事は中動。

S事務仕事が女に回ってくると言うのはそういう意味。能動的な仕事は男がやって、事務仕事は女がする。そういう中動仕事に安住しているのが、のんきではないか。男は外で営業したり、受注したりする。帰ってきて事務仕事を女に任せる。女はそれが儲かるかとか適正かとか、何も考えないで処理するだけでよい中動の仕事をする。戦争は男の仕事であって主体の仕事、銃後の女は、のんきに安住している。能動でも受動でもない中動の仕事をしている。

Y そこで完結しているからのんきに美しい。

S 自分は飢えて死んで藻屑になっても、家に残した女子供たちはゆたかにのんきに美しくあると思ってはじめて、男たちはこの無意味で無謀な戦争を何とか戦うことができた。特攻隊の遺書とか、そういう書き方をしている

H僕も今は洗濯してますもの。

S それ仕事じゃないと思っているでしょ。男は中動の仕事に耐えられないのだよ。目的があって、達成があることしか仕事だと思えない。

Y 能動的な仕事をどんどんこなすのも大切だと思うけれど、男は、それ以外のことは面倒だなあと思っている。

K お金払っていないシャドウワーク

S アメリカの女たちは気障で男たちに見せているというのがあると思うけれど、それはアメリカの女が主体であるということだね。

K 不平を言うというのがそうだと思う。文句を言えば何かしなければならない。女の兵士も早くからいるし。

アメリカでは女も主体であった。

 Y 主体性があると美しくのんきではなくなるということ?

S そういうこと。

Y 返して言うと、美しくのんきにしていないということ自体は悪口ではなかったということですね。

H もう一度言ってもらえますか。

Y 最初に読んだとき、アメリカを悪く言っているなといういやな感じがあったが、日本の女性たちはのんきに美しくしているというのは、中動的に生きて安住して完結している、そして男たちはそれを守るために戦っている。アメリカの女が不平を言い、主体的に生きているのは悪いことではない、だから悪口ではないということになる。

H 主体性があるという面ではよいということですか。

K アメリカの女性は個人であるということですね。

Y アメリカの女性はアメリカの女性でそう生きているし、日本の女性は日本の女性でそう生きているだけで、並列しただけ。

S さらにそのあと、女が勝敗の鍵を握っている、楽観している。そのところが分からない。アメリカの女と日本の女のどちらが勝つと言っているの?

S のんきな美しい女たちが大丈夫だと言っている。

K みんなが男になってみんなが戦争に出たら、みんなが死んでしまうか。

S のんきな女たちが残りさえすれば、男たちが負けても、男たちの戦争が負けても、のんきな美しい女たちが残れば私たちは大丈夫だということ。

K 文化は残るということでしょう。生き残りさえすればいい。

Sはっきり言って、男たちの戦争は間違いだし負けるに決まっているが、こののんきな美しい女たちが残りさえすれば将来は楽観できるというふうに言っているように読める。

ヴィヨンの妻の最後も、私たちは生きていさえすればいいと言っている、あれと同じではないか。

S なんでそう考えるかというと、戦争は負けるとこの時代には直接率直には書けないだろう。だけどこういう風に書けば、男たちの戦争はこれは負けるに決まっている、それを言う必要はない、その代わりに、それを言う代わりに、こののんきな美しい女たちさえ残れば将来は楽観できると言っている。つまり、間接的に、この男の戦争は負けると言っているのと同じになるのではないかな。

K それなら納得できる。

H そうか。

Y 薄く読むと、最後にアメリカのことを悪く言っているように読める。だから騙されたという感じがあった。

S 男たちのこの戦争は必ず負ける、男たちの戦争はしょうもないということを、巧妙に間接的に言っている。

K 男の行き方では負けると言っている。

 

 

太宰治「作家の手帖」その3

【母さんの洗濯】

H 井戸端の母さんということばも同じですね。こどもがいる自分自身とも言えるし、もっと無名の存在のお母さんという意味ももってしまう。世代的にどちらに向かっても使える。自分でもあるし、無名でもあるし、両義的な使われ方。

K 奥さんのことを母さんと言ったり、女性一般を指したりする。

Y この母さんも少女の歌もカタカナが嫌らしい、何か隠されている。

H そういえば、3段落ともカタカナ表記の部分、歌の部分がある。

S この母さんのカタカナ。自分のお母さんでもあり、人のお母さんでもある、という自分と他人との区別を乗り越えるという用例になるかな。2段落目は階級を跳び越える用例、3段落目は自分の母さんと人の母さんという主語の範囲を超える用例。

 一人称と二人称が交代することがあるとともに、一般名詞と固有名詞の交代がある。

Y 自分のことを歌っているんだったらなんだかなあと思っていたが、自分の母さんの意味はもう消失していて、それを「意味がない」と言っているのかな。

K 単なるリズムなんじゃない?

S 自分のことを歌っているんだったら,、自慢しているとかになるけれどというのは、第一段落で七夕に自分の書道の上達しか望んでいないというのと同じではないか。第一段落では、自分の望みしか言っていない短冊、第三段落では、自分のことしか歌っていない歌という対比がある。

 第三段落はさらにその先があって、自分個人ではなく、お母さん一般のことを歌っているというのは、自分と人々一般との差異を超えることにならないか。自分だけのことを歌っているのに、歌っているうちにお母さん一般の歌になる。逆に言えば、言語はみんなのものだけど、私がそれを使えば私だけのお母さんを指し示せる。

 これをヴィトゲンシュタインは私的言語はないと言ったのではなかったかな。言語はすべて他人のもの。私と他人との区別・差異を超える力があるのがことばである。だから、ことばこそ希望の種である。

 みんな我利我利亡者で自分のことしか言わず、自分だけのための物語を語っていても、それを言語で書くと、それはあなたのことだけじゃなくて、他の人にも通用するみんなの物語になる。それを人が読むとあなただけの物語ではなくなる。物語は、自分と人の区別を跳び越えることができる。それが希望である。

Y 希望の定義が素晴らしい。

H 面白い.

S これさえ押さえれば大丈夫だというキーポイントを太宰は書いた。

Y まだ、なおなお、どこか煙に巻かれているところがある。

 

 

 

 

太宰治「作家の手帖」その2

【階級を超える】

Y 煙草の火を貸すとかもらうとかいうのが、太宰の世界の大きさを表現している。コミュニティーとか、他者のとらえかた。

K いつも自分は多数派になれない。

Y ここで長々と書かれた関係性の話は何を意味しているのだろう?

S 全体を見ておくと、一行あけで示される3つのパートに分かれている。七夕の話、祭礼の曲馬団と火を貸すこと、井戸辺の女の話。

S この第二段落、これ階級の話でしょう?地主階級と無産階級。

H その階級の違いを、煙草の火の貸し借りでつながるということですよね。はばかりさまということば、どういう意味かよく分からない、ある種とんちんかんなことばに可能性を見いだしているわけですよね。

S 私たちはもうすでに、はばかりさまということばをうまく使えない。

K はばかりさまには、辞書的には、1)恐縮の至りという世話になるときの挨拶のことば、2)出し抜くときのお気の毒様という意味の二つがあり、どちらもこの場合には合わない。だから奥さんがとんちんかんと言うのは正しい。

 1)は、こちらが相手に世話になるときの挨拶のことば。

Y 恐れ入りますとか、ご苦労様という意味。

K 恐れ入ります、火を貸して下さいは、火を貸してあげる方が言うことばではない。

H 借りる方が言うことばですね。

S はばかりながら火を貸して下さい、というのでいいかな。

Y もらってくれてありがとう的な? 

S うんうん、それ。

K もらってくれてありがとうというのは、向こうが貸してくれと言っているのに、そう言うのはおかしくない?

Y そういう心境分かるけれどなあ。

K 心境はそうでも、一般的にはそう使うかな?

S 火を与える方か、与えられる方かというのが話題になっているけれど、それ、逆転しても大丈夫だということにならないか。そうしたら、もらうともらわれるが、地主階級と無産階級で交代できるということにならないか。はばかりさまを、与えると与えられる両方で使えるようにすれば、階級の差がこのことば一つで消える。

 いまの流行のことばでいうと、受動でもなければ能動でもない中動態。はばかりさまということばを中動態として使えれば、階級の差異はなくなる。

H 能動でもなく、受動でもなく、中動。

S 中動態は古代ギリシア語の文法に出てくる。國分功一郎という人が、この中動態をキーワードにして本を出しているので、話題になっている。自己意志で行動することと受動とは、実はそんなにはっきりきれいに分かれないという発見。

H はばかりさまには元々そういう要素があるのでしょうか?

S 受動と能動が交差するような例がいくつもあって、その一つがはばかるではないか。

 さっきYさんが言ったように、もらってくれてありがとうのような、相手のすることを先取りするようなかたちで、能動が受動に、受動が能動にかわってしまう。

Y ペンを差し出して、宅急便を受け取るときとか、中動態的様相は結構あると思う。

(S 古代ギリシャ語だと、能動態と中・受動態の活用が異なる。水浴するというのが中動態というのは、私は水で自分を洗うという能動と受動を対立して表現する現在の言い方とは異なり、 水と私が、互いが互いに触れ、触れられるという中動態の様相をそのまま書き表す。中動態は衰退して、能動と受動へ分かれると言われている。これが、例の絶対矛盾的自己同一や則天去私と自己本位の問題とよく重なる。自他を区別しないアジアの古代的なありかたと、古代ギリシアの中動態がもしかしたら重なる?)

S 太宰が、わざわざ、はばかりさまという、どっちがどっちにかかるか分からないような、受動と能動が分かれないことばを探し出してきたことが、解決の糸口になるということだと思う。階級の差異を跳び越えるための解決の糸口を太宰は見いだしている。

 太宰はかなり早く、漱石はさらに早い。漱石の自由間接話法が、これと同じことをしている。相手の立場に成り代わって話したりすると、受動であるはずなのに能動で語ったりすることができる。主語が入れ替わってもよい例はたくさんある。「われ」で自分も相手も指すことができる。

Y はばかりさまの用例で検索すると、「雪江さん、はばかりさま、これを出してきて下さい」の用例が出てくる。

K 「吾輩は猫である」の雪江さんですね。

(S 細君が、寒月君が来ているので、雪江に茶をもって行かせようとしているところ。ご苦労ですがという意味だけでなく、その裏にはいろいろ狂言があって、雪江さんはすました顔で断るが、細君は恥ずかしがることはないと言っている。まるでジェーン・オースティンの一場面のように裏の心理劇がことばの一つ一つに書き込まれている。あとの方でも問題になるが、太宰は漱石を研究していたと思う。)

S 階級差があって、どうにもその差を跳び越えられないで問題になっているときに、お互いに火を貸し合うということばを発見しているというところが重要で、はばかりさまは実際にこの時期に使われていたことばだと思う。他の人から見ると、とんちんかんな逆な使い方に聞こえるが、太宰はそれを中動態として使える、そして、このことばを使えば階級差が超えられるという、そういう発見をしている。

H すごい革命的な一言。

K そういうことですね。

Y 怖い。

H 井戸端の「ワタシノ母サン」ということばも同じ役割ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰治 「作家の手帖」 1943年10月 20200503読書会テープ

【はじめに】
S 小説が発表されたのは1943年10月。作中に書かれた出来事としては、昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋事件。発表時と作中の出来事の時間に少しずれがあるようだ。時間を整理する必要がある。

 時間の感覚が少し分かりにくい。「ことしの七夕は、例年に無く心にしみた」と冒頭で言っている今年は何年か? 

K 1937年よりあと、1943年までのうちのいつか。

S では仮に1938年とすると、そのあとに「7、8年も昔の事であるが」と谷川温泉へ行ったのは1930年か31年。これは柳条溝事件の年に、ぴったり符号する。

 そして、昭和18年=1943年頃には敗戦色が濃くなる。物も不足して、人々は内心ちょうど今の私たちのコロナの状態と同じように、いつ負けて終わるだろうと思っているのが1943年。しかし負けるとは決して言えないし、今だって私たちはコロナに負けると言えないでいる。  

 つまり、1931年満州事変を始めた時、人々が勝つつもりでいた頃と、敗戦が確実になった1943年の二つの時期の対比があり、二つの時期の間に心的なズレがあるというのが小説の背景。

 おさらいしておくと、1931年の柳条溝事件。これは日本軍の謀略だと言われている満鉄爆破事件。日本軍はやらせ満鉄爆破を口実にして満洲全土を5ヶ月で占領する。そのあと、1937年7月7日に盧溝橋事件があって、日中の全面戦争へ拡大する。さらに最後のところでアメリカの女性の話が出ているが、アメリカ参戦は1941年12月のパールハーバー

K 「ヴィヨンの妻」には、昭和19年の春に、大谷は国民服ではなく久留米絣の着流しに二重回しの姿でやって来たとあった。(S この語り手は酒屋の主人で、「対米英戦もそんなに負け戦ではなく、いや、そろそろもう負け戦になっていたのでしょうが、私たちにはそんな実体ですか、真相ですか、そんなものはわからず」とあり、一般人は昭和19年になってものんきに外出していたが、この作品の語り手は作家であり、真相をよりシビアに見ていたと推測される)

S 昭和18年になると物もなくなり、この年の本は紙が悪くてパリパリになる。

K 物がなくなるのは昭和18年よりも19年、戦後になると物がもっと不足していたのでは。戦後、本を出版するのに紙を持って行かなければならなかった。

S 物資が不足していくということがこの小説で問題になっているのではなく、もう少し象徴的な変化が昭和18年=1943年にあったのではないかということ。戦局が悪化し、負け戦へのターニングポイントになったのが1943年だろう。(1943年2月ガダルカナル撤退、5月アッツ島玉砕。国内向けの大本営発表では、撤退を「転進」と報道して、戦局を偽装した。)

S 1931年から1943年の時代背景を綿密に計算して設定しているようだ。ほんの短い小品であるのに満州事変から敗戦までのきわめて厄介な時期を総体としてあつかっている。

【少女の献身】

K 少女がつつましいと言っているのは、どういう意味なのか、何だかどこかで騙されている感じがする。読者を騙している感じがする。女に戦争の勝敗はかかっているとか、作者は時節柄こう書かざるを得なかったのか?

S それを考えるために、背景を確認して、時間が二重になっていて、戦争に勝つだろうと皆が思っていた1931年頃と、誰もが負けるだろうと思っている1943年頃、この二つの時期に、心情のズレがあるのを今確認したところです。

S 「オ星サマ」の少女の歌の時期はいつだろう?

K 谷川温泉へ行ったとき、少なくとも1938年以降。

H「ことしの七夕」と7、8年前の七夕があって、少女の歌は、「ことしの七夕」つまり1938年の歌だろう。

Y 前に見た短冊は、少女は、針の上達とか自分のことばかりしか書いていないけれど、今年の三鷹の短冊は、少女はお国のために何でもということを書いていることになる。

S そう、そういう変化がある。1931年の少女は自分のことばかりだったが、1938年の少女は国をお守り下さいという風に変化した。少女の短冊の内容が変わっている。少女が変わったのも怖いし、それを太宰がどう書いたかというのもただならぬ問題。

H そうだったのか。

Y 今年もコロナで少女たちは短冊に色々書くんだろう。

S   今だって、コロナで自粛というけれど、どこへ行くのだって自分の自由だと思う一方、自粛しないと伝染して死んじゃうから仕方ないというのもある。では、コロナ についてどういう意見ですか?

K 自分がかかるのがいや。

Y みんながかかるのがいや、こどものためとか周りの人たちのため。

H こどものためですね。

S 自分のためもあるけれど、こどもに関わるみんなのためだね。こどもは学校へ行かなければならないし、就職もしなければならない。そういうこどもの未来を含めた周りの人々にかかってほしくない。つまり、自分がかからなければいいというのと、その周囲の社会が壊れないでほしいというのと、それから国とか世界とか、この3種類がある。

 少女の短冊でいうと、自分からすぐに国家へ飛んでいて、社会のサイズのところが薄い。社会の部分が欠けていることが気になる。

K 7、8年前の慎ましく生きているというのは当時の正常なあり方で、自分の子どもの頃と同じで、それを見て太宰はほっとして、生き返った気がした?

S そうかな?

 

 

 

花に舞う 深沢七郎 読書会テープ2

花札

Y  花札のルールが詳しい。うちのルール、ここでしか通用しないルールを使っているのはなぜか?

S 辰夫には内省的なところがあって、兄貴ほど乗せられやすくない。観察者、書き手、語り手としての観察眼があり、お金の勘定もできる。辰夫には、博打に入ってしまちゃんの後を継ぐか、まっとうな職についてかずみちゃんと結婚する道がある。

Y 人の顔色もちゃんと見ている。博打の勘定もしっかり見ている。

S この土地にいる限りこのルールを身につけなければならない。ルールが他と違って難しいとあるから、ルールが分からないとこの町の会合にも出られない。八百屋や薬屋も花札のルールをよく知っている。そうしないと社交として成り立たない。甲府の社交のルール。 

K 賭博禁止もある。

S  他の人が入ってこられない閉鎖空間。鎖国していれば、それなりに豊かな小さな集団。東京や大都市は交換経済でなりたっている。甲府や、山形の相馬さま、金沢など、独立閉鎖で成り立っている町があった。

K 甲府は、網野善彦によるとかなり豊かだったのではとあった。

K かつての藩は独立閉鎖経済だった。

Y すこし気になるのは、鉄ちゃんは交換経済が贈与経済を食い物にしているような気がする。かずみちゃんも東京に行ったらもう帰ってこないだろう。

H 鉄ちゃんは神様みたいだとある。

S 鉄ちゃんは音楽という水商売で成功したという博打的な成功だろうと思う。それで一流の甲府の旅館にしてくれという。一山当てて博打に勝ったということではないか。たいていの場合音楽で成功するのは難しい、「おくりびと」のようになる。

K まっとうな交換経済ではなく、贈与経済の人間で一山当てた人。

Y 鉄ちゃんも芸能関係の人の一人と考えた方がよいだろう。流しやドサ回りの芸能人と同じ。

S だからはれの日の演奏会で精一杯の贅沢をがんばっている。贈与経済で動く時間が祭りの時。鉄ちゃんもシマちゃんにたかっているし、旅館にも何人も泊まっていって、それを全部かぶったのがシマちゃんで。一夜明けるとこの借金どうしようと青くなっている。

H こんなに社会経済の背景がちゃんと書いてあるとは。戦後という時代もちゃんと出ている。

【おわりに】

S ローカル・ルールとともに、いろいろな身振り言語が使われる。それをあうんの呼吸で分からないとこの閉じた社会に参加できない。

  外部からは入れない閉鎖空間。その閉鎖空間で博打をすると、順々にオケラになっていく。順々にお金が巡っていくだけという経済のあり方なんだと思う。次々にお金が巡っていくだけで、それで経済が成り立ち、誰もそれによって困ることはない。交換経済で人を追い落とすゼロサムゲームではない。

S そういう鎖国状態で成り立つのは、交換経済ではなく、循環経済だと思う。花札は12ヶ月の循環で、月ごとに花が立つのではないか。つまり次は薬屋がオケラになって花を舞い、次の月はシマちゃんがすっからかんになって花を舞う。贈与に基づく循環経済というのが、この小説で花札のルールの詳しい描写が必要になる理由だろう。

 次々に贈与が送られて行く循環する世界、12年で一回りで60年単位のクラシックな時間世界。いつも昨日舞ったと言っている薬屋のように、時間が進まない。

K 頼母子講のような経済ですね。

S ポトラッチによってみんなシマちゃんにたかっている。鉄ちゃんも内実をよく分かっているのだろうけど、儲かってよかったねといってシマちゃんに全部おっつけて東京へ去っていく。そういう花を持たせる月次の花が、シマちゃんから辰夫へ送られるという話だろう。来年はおまえが花を咲かせる兄貴だぜということだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

花に舞う 深沢七郎 1981年 20200329 読書会テープ1

【はじめに】

 登場人物は兄貴と呼ばれるシマちゃん、その妹かずみちゃん。かずみちゃんにちょっと惚れている辰夫。この辰夫の視点で語られる。甲府に近い小さな町の話。

 鉄ちゃんは出世して東京交響楽団でフルートを吹いている。それを知ったシマちゃんは4月3日の祭に合わせて鉄ちゃんの演奏会を開こうとする。いろいろ金がかかるが花札の勝ち金をあてにしつつ切符代も合わせて盛況のうちに終わった。見ている辰夫は金が足りないことにハラハラしている。かずみちゃんは不足した金のために東京へ働きに出た。

 シマちゃんは相変わらず花札で補填しようとして負け、ふところやズボンのゼニをさがしている、それは舞を舞っているしぐさなのである。

【ポトラッチ】

H 「そう言ってくれるなら、俺はお前を兄貴と言うぞ辰ッ」と言うところ。辰夫が同じヤクザの世界に入ってくるなら兄弟と呼ぶでよさそうなのに、年下の辰夫を兄貴と呼ぶようになると言うのが分からない。

Sシマちゃんというのは、ヤクザといっても、ちょうど寅さんのような存在で、お祭り大好き、贈与経済の中でしか生きられない。団子屋の商売のような交換経済は不得意。暇そうな土着のこういう人がいないと、地域の祭りや行事などが成り立たないのではないか。

Y 確かに、お前を兄貴と呼ぶというのは、何が言いたいのだろうと。えらい苦労と言ってもらって、同じ立ち位置の人に共感してもらってうれしかった。

H 花と花札、桜が咲いたということが注意されている、ちょうど兄貴と呼ぶというときにも上を見上げると桜が咲いている。だから桜と関係して、この兄貴というのも重要な点だと思うのだが。

S 3月3日の1ヶ月遅れで祭が行われる。旧暦で雛祭りが行われる。旧暦だと桃の節句に桜も咲き始める。

Y 桜満開の4月7日までの出来事。

Y 舞うと咲くは少し違う。桜の花はぱっと開いている、同じ日に満開。舞うは、桜だと散るということだろうと。それがどう関係しているかがわからない。

S 桜が満開は、人生の盛りだとすると、舞う、散るは、人生の下り坂。桜が満開というのはあふれるような過剰、贈与経済、パーとした贈与の経験、ポトラッチという現象ではないかな。全部を奢って、ありったけご馳走して、すってんてんになる。桜が咲くというのはこの過剰をいうのではないかな。

Y 宵越しのゼニはもたないとか? オケラ

S  検索すると、大盤振る舞い、モース、岡本太郎バタイユとか、錚々たる人類学者が大注目しているのがポトラッチ。膨大な贈物、焼いたり、投げ出したり、こんなに気前が良いことを見せる。

K 岡本太郎文化人類学を学んだのですよね、「沖縄文化論」のところであった。

S  これはシマちゃんのポトラッチの話。ありったけの金を注ぎ込む。

Y ポトラッチの相手は自分より格の上の人に対してするのですね?

S 散財合戦をして、それによって下々まで回ってくる。

K 富裕層の散財が経済を回すという話ですね。

S コロナ騒動で、ザッカーバーグ孫正義とか、マイクロソフトも争って寄付をしているでしょ。あれをしないとみっともない。メンツが立たない。日本にも億万長者がたくさん出ているのに誰も寄付しない。ケチと思われる。

Y しかしポトラッチをする相手がいない、シマちゃんは誰と競争しているかわからない。

S 辰夫が並び立ってくれれば、ポトラッチになる。だから、今度はお前の番だと言うことで、「兄貴」と呼ぶのは、今度はお前の番だということだろう。それによって、辰夫の未来は決まってしまって、かずみちゃんとは結婚できないね。

Y 桜が満開だというのは?

S 桜は毎年毎年ポトラッチしている。今年はシマちゃんが満開。来年はお前だぞと言うことだろう。いまでもいるでしょ? 商店街の流行らない布団屋とか、年に一度の祭りだけを楽しみに生きている。花を持たせるという言葉もある。

Y 花火を打ち上げることだけが、その村ではステータスになるという話がある。

S 花火なんていう浪費そのものお金を注ぎ込む。マスクに寄付はできるかもしれないが、花火に10万円寄付出来るか? まっとうな交換経済にいたらそんな寄付はできない。贈与経済でないとそんなことはできない。

Y 花火師の話しでも良かったが、深沢だから音楽になった?

S 音楽、クラシックはある時代の憧れではなかったか。戦後のある時期、クラシック音楽は憧れという花だった。だからピアノの発表会には年に一回自分が花になれる日というのでドレスを着る。子供に着せる分不相応なドレスや着物。あれが贈与経済の名残ではないかな。

K 着物に道楽する奥様。

Y 見えはるお茶の世界。

S  子供や女は、男の財産の一つで、見えはるためのポトラッチ経済の贅沢物だということ。

 みんな切符代も儲かっているといって払わない、シマちゃんにたかって、借金をおっつけていく。かずみちゃんの身売りもこの借財をあとで払うため。

 

つづく 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回4月25日予定

スカイプ読書会は毎月第2、第4土曜日15:00から開催。参加希望者は連絡下さい。

1月25日15:00 深沢七郎 「数の年令」

2月8日15:00 谷崎潤一郎 「金色の死」(講談社文庫 青空文庫)

2月29日(変則)土曜15:00 泉鏡花 化鳥(青空文庫)

3月22日日曜15:00 泉鏡花 三尺角 (岩波文庫青空文庫

3月29日日曜15:00 深沢七郎 花に舞う(講談社文庫、全集6) 

4月25日15:00 太宰治 ヴィヨンの妻