【はじめに】
登場人物は兄貴と呼ばれるシマちゃん、その妹かずみちゃん。かずみちゃんにちょっと惚れている辰夫。この辰夫の視点で語られる。甲府に近い小さな町の話。
鉄ちゃんは出世して東京交響楽団でフルートを吹いている。それを知ったシマちゃんは4月3日の祭に合わせて鉄ちゃんの演奏会を開こうとする。いろいろ金がかかるが花札の勝ち金をあてにしつつ切符代も合わせて盛況のうちに終わった。見ている辰夫は金が足りないことにハラハラしている。かずみちゃんは不足した金のために東京へ働きに出た。
シマちゃんは相変わらず花札で補填しようとして負け、ふところやズボンのゼニをさがしている、それは舞を舞っているしぐさなのである。
【ポトラッチ】
H 「そう言ってくれるなら、俺はお前を兄貴と言うぞ辰ッ」と言うところ。辰夫が同じヤクザの世界に入ってくるなら兄弟と呼ぶでよさそうなのに、年下の辰夫を兄貴と呼ぶようになると言うのが分からない。
Sシマちゃんというのは、ヤクザといっても、ちょうど寅さんのような存在で、お祭り大好き、贈与経済の中でしか生きられない。団子屋の商売のような交換経済は不得意。暇そうな土着のこういう人がいないと、地域の祭りや行事などが成り立たないのではないか。
Y 確かに、お前を兄貴と呼ぶというのは、何が言いたいのだろうと。えらい苦労と言ってもらって、同じ立ち位置の人に共感してもらってうれしかった。
H 花と花札、桜が咲いたということが注意されている、ちょうど兄貴と呼ぶというときにも上を見上げると桜が咲いている。だから桜と関係して、この兄貴というのも重要な点だと思うのだが。
S 3月3日の1ヶ月遅れで祭が行われる。旧暦で雛祭りが行われる。旧暦だと桃の節句に桜も咲き始める。
Y 桜満開の4月7日までの出来事。
Y 舞うと咲くは少し違う。桜の花はぱっと開いている、同じ日に満開。舞うは、桜だと散るということだろうと。それがどう関係しているかがわからない。
S 桜が満開は、人生の盛りだとすると、舞う、散るは、人生の下り坂。桜が満開というのはあふれるような過剰、贈与経済、パーとした贈与の経験、ポトラッチという現象ではないかな。全部を奢って、ありったけご馳走して、すってんてんになる。桜が咲くというのはこの過剰をいうのではないかな。
Y 宵越しのゼニはもたないとか? オケラ
S 検索すると、大盤振る舞い、モース、岡本太郎、バタイユとか、錚々たる人類学者が大注目しているのがポトラッチ。膨大な贈物、焼いたり、投げ出したり、こんなに気前が良いことを見せる。
K 岡本太郎は文化人類学を学んだのですよね、「沖縄文化論」のところであった。
S これはシマちゃんのポトラッチの話。ありったけの金を注ぎ込む。
Y ポトラッチの相手は自分より格の上の人に対してするのですね?
S 散財合戦をして、それによって下々まで回ってくる。
K 富裕層の散財が経済を回すという話ですね。
S コロナ騒動で、ザッカーバーグや孫正義とか、マイクロソフトも争って寄付をしているでしょ。あれをしないとみっともない。メンツが立たない。日本にも億万長者がたくさん出ているのに誰も寄付しない。ケチと思われる。
Y しかしポトラッチをする相手がいない、シマちゃんは誰と競争しているかわからない。
S 辰夫が並び立ってくれれば、ポトラッチになる。だから、今度はお前の番だと言うことで、「兄貴」と呼ぶのは、今度はお前の番だということだろう。それによって、辰夫の未来は決まってしまって、かずみちゃんとは結婚できないね。
Y 桜が満開だというのは?
S 桜は毎年毎年ポトラッチしている。今年はシマちゃんが満開。来年はお前だぞと言うことだろう。いまでもいるでしょ? 商店街の流行らない布団屋とか、年に一度の祭りだけを楽しみに生きている。花を持たせるという言葉もある。
Y 花火を打ち上げることだけが、その村ではステータスになるという話がある。
S 花火なんていう浪費そのものお金を注ぎ込む。マスクに寄付はできるかもしれないが、花火に10万円寄付出来るか? まっとうな交換経済にいたらそんな寄付はできない。贈与経済でないとそんなことはできない。
Y 花火師の話しでも良かったが、深沢だから音楽になった?
S 音楽、クラシックはある時代の憧れではなかったか。戦後のある時期、クラシック音楽は憧れという花だった。だからピアノの発表会には年に一回自分が花になれる日というのでドレスを着る。子供に着せる分不相応なドレスや着物。あれが贈与経済の名残ではないかな。
K 着物に道楽する奥様。
Y 見えはるお茶の世界。
S 子供や女は、男の財産の一つで、見えはるためのポトラッチ経済の贅沢物だということ。
みんな切符代も儲かっているといって払わない、シマちゃんにたかって、借金をおっつけていく。かずみちゃんの身売りもこの借財をあとで払うため。
つづく