太宰治 『斜陽』その2

【遺書を読み換える】

A 直治の遺書の中に、正直(7)という言葉が出てくる、スガちゃんの表情と目の正直は、母以外には、スガちゃん以外一人もいなかった。それから、「ひめごと」がある。「僕に、一つ、秘密があるんです。」(7)と姉に言い、結局その秘密をひめごとにせずに、内容を姉に話してしまっている。

H 直治は「正直」(7)、母とかず子は「ひめごと」(2)と言っている。

S スガちゃんは、かず子と名が似ていないか?なんで似ているんだろう? アナグラムになっている。

 『斜陽』は全部で8章ある。かず子は4章で3通の手紙を書き、8章で最後の1通を書いている。3章には直治の夕顔日記、7章には直治の遺書があり、かず子は直治の後を追うように手紙を書いている。

  直治の遺書は、これもかず子が書いたんではないか? かず子がフィクションとして直治の遺書を書き、その遺書をテコにして上原に手紙を書く。その二つによって読者をいわば誘導していると考えてみた。

A そうすると直治の死はどうなる? 直治は自殺したのか、かず子の革命のために殺されたのか?

S 殺された可能性も出てくるか。東京へ行ってくるといって直治の自殺のきっかけを作ったのはかず子。かず子と直治は、母親の愛情を巡って争っているとも言える。勝ち残った方が愛情を得られるとしたら、直治を蹴落とすか、直治がかず子を蹴落とすかという競争になる。7章の直治と8章のかず子の文章が争っている。

 直治の遺書は、直治が書いたと考えてもいいのだけれど、直治が書いた遺書をかず子は読み換えて換骨奪胎している。直治の子供だと語ることによってかず子の処女懐胎を成就し、スガちゃんにその子を抱いてもらうことによって直治の恋も成就させている。かず子は直治の遺書を読み換えている、あるいは書き足している。

A 夕顔日記を見たのは伏線になるのですか? 

S 直治の夕顔日記と遺書とを比較せよということだろうね。どこがどう違っているか。(先のひめごと問題で、かず子はひめごとを夫にも母にも隠し通したが、直治は秘密をやすやすと語ってしまっている。ここが矛盾している。つまり、スガちゃんはかず子の創作であると推定できる。もう一点、洋画家つまり上原の評価が直治の遺書の中でだけ非常に悪い。ここが矛盾している。つまり、洋画家は、上原に会って幻滅したかず子の創作であると推定できる。)

  漱石の『こころ』も、先生と「私」の経歴がよく似ていて、先生と「私」はイコールだという説が出てきてしまう。(先生の遺書を読んだ「私」には、その遺書に対して応答する義務があると考えるなら、『こころ』を下敷きにして『斜陽』を書いた太宰は、遺書への応答にあたる部分を『斜陽』のなかに書き加える義務がある。それが8章のかず子の手紙。だから、かず子の最後の手紙は、直治の遺書への応答であると読まなければならない。)

H  8章のはじめに「ゆめ」とある。どこまでが夢なのかと考えた。手紙の文章も夢なのかもしれない。直治の遺書がフィクションかもしれないというのも、「直治の遺書」というのがこのフィクションの題名だとしたら(『こころ』は、はじめ「先生の遺書」という題であった)、全部がフィクションであるということもできるかもしれない。

S かず子は夢見る夢子ちゃんで、30過ぎのメンヘラ系で妄想女で、細田への二次元恋愛を現実の行動に移してみると、上原は性欲の塊のような老猿で、少しも素敵な恋愛ではない。かず子が現実に目覚めるのは難しいのでは。

H 「これから世間と争って行かなければ」(5)とかず子は言うが、母からあなたには無理ですと言われている。

A 二回戦、三回戦というのは、また夢を続かせるのか?

H 次の手紙を書くように、次の小説を書くということか?

S 結局かず子も小説家として書くということにならないか? 直治も小説家になろうとしていた。直治の小説を横取りするかたちで、かず子も小説を書いていくのでは。小説家は蛇のように脱皮をして生き延びる。

 かず子は母になろうとしてなれず、次に直治のようになろうとする。直治の夕顔日記を読んだ後に上原に手紙を書き、直治の遺書を読んだ後に、上原への最後の手紙を書いている。はじめに直治を真似して上原の本を読んで、直治と同じように上原を尊敬しはじめる。誰かを映し出して成り代わっていく。

A かず子の根幹が分からない。上原は小説家として生きようとし、直治は何とかして貴族を脱しようとし、母は最後まで貴族として生きようとする。かず子だけは根幹が分からない。

H 入れ物のように何でも取り入れていく。

A 戦後の日本は、民主主義をすぐ取り入れたり、教育でも、いろいろなものを引っ張ってくる。

S かず子の根幹はない。外を移し、入れ物として、何でも物まねする日本人そのもの? かず子は戦後日本人か。スガちゃんもプロフィール、輪郭しかない。

A スガちゃんのヒューマニティに打たれたとあるが、ヒューマニティの中身は一切書いていない。

S 真似をするというのは、直治がいやだと言っているみんな同じという思想の原理。かず子はずっとその真似をしながら、蛇の卵を焼いて生殖ではなく、蛇の脱皮として再生していくと言い換えた。それがかず子の革命になる。

 

【おわりに】

S ゆめ(8)や、恋(1)、戦闘開始(6)などが何を意味するか分からないまま投げ出されているので、また、ですます調の文章によって時制が分からずすべてが現在に召喚されているので、読者は、妄想か現実かを区別し、出来事を構築しながら読む必要がある。

『斜陽』の姉弟は、萩尾望都の『ポーの一族』そのもの。ポーの一族とは吸血鬼の一族で、両親の死後、兄と妹が残る。二人は決して年をとらず、蛇の脱皮のように生殖なしに再生してゆく。ポーの一族とは、物書きの一族でもある。

『斜陽』は、漱石の『こころ』の書き換えであり、聖書の書き換えでもある。太田静子の『斜陽日記』の書き換えでももちろんある。

H マフラーを編み直す、とか、母の麻の着物を縫い直すのは、蛇の脱皮と同じ。血によって再生せずに、脱皮によって再生し、編み直し、縫い直すのが小説である。