宇佐美りん「推し、燃ゆ」 その1 20210508読書会テープ

【はじめに】

「推し、燃ゆ」は、2020年秋季号の文藝に発表され、同年9月に河出書房新社から出版、芥川賞受賞。

 章立てはなく、アスタリスクと行開けによって小区切りがある。内容を要約しておく。

1、推しの炎上 2、アルバイト先にて 3、祖母の死 4、まざま座解散、上野真幸引退。

【推しというテーマ】

Y 推しについての印象ですが、推しを神にしたり崇める対象にするのではなく、自分の分身にしていて、自分を読み解きたいから推しを読解している。だから推しを性の対象にもしていない。

S  それは普通の推しとは違っている?

I  推しの種類はいろいろある。成美は繋がりがあり、会える種類、肉体的つながりもありそうに見える。

Y 5ページのあたりに種類があげてある。

k 有象無象のファンでありたいと言っている。

Y  成美さんは、男性として見ていて、互いを性の対象として消費したいと思っているが、この主人公は、自己分身で、だからこそ解散というと、自分自身がいなくなるような喪失感で、それは失恋とは全く違う喪失感。 

 分からない自分に対して、読み解けるものとして、データに上がってくる彼を今後見られなくなるわけだから、自分のことさえも読み解けなくなるから、相当怖かっただろうと思う。

S  それが推しのテーマということね。恋愛対象や性的対象としての推しはもうすでに小説のテーマにはなりえないけれど(陳腐すぎるから)、自己の分身としての推しならば、まだ小説のテーマになるという判断がある。

 だから、この小説は全く性的ではない、セックスがない。

Y そういうのを嫌悪しているような描写がありましたよね。プールの場面とか。

S  あれもセックスに対してよりも、どちらかというと接触とか深さとかであって、男だから女だからといったセクシャルな問題ではないように思う。

Y  他人に対する嫌悪感みたいなものがある。

S それを言いたいがために、全く非セクシャルな書き方をする。このくらいの年でこのくらいの時期の女性だったらセクシャルでないことの方が難しい。

Y 自分の高校の頃を思い出すと、同じように非セクシャルだったから共感できた。二次元を推していた。

S 文学少女は非セクシャルなんだよ。

S  高校に上がったばかりの5月に推しに再会したとある。体育祭の練習を休んで、体内時計の遅れとあるから、普通だったら生理で休んでいるという少女のセックスコンプレックス話だと予想するのだけれど、どうも違うような気がする。

 話題は推しのピーターパンだから、成長拒否問題なのは明らかなのだが、どうもそれとも違うような気がする。

Y  保健室で病名が2つついたとあり、後半にも病気のことが出てくる。

K 父親に、私は普通ではないというところですね。

S つまり、この女主人公は発達障害保健室登校が許されている。そう名乗ってはいないけれど、アルバイト先で手順が狂うとどうしていいか分からなくなるのが発達障害の症状。コンピュータのように手順を書いておいて、それをなぞることはできるのだけれど、手順が狂うと対応できなくなる。

 この女主人公の中心問題は、発達障害(と呼ばれている症状)による不適応で、成長拒否やセックス拒否ではない。

 高校までは頑張って入ったが中退する。この高校の時期に特有の発達障害・不適応の乗り越え方がテーマではないか。

I  性的なところとは別次元の話。思春期の話だと思って読んでいたが、それとは違っているということですね。

S いわば作者自身が私は普通ではないと言っている、並の思春期の話を書いているのではないと言っている。『コンビニ人間』の作家と共通する。

I  宇佐美さんの小説の方が共感できる。優しい気持ちになる。今村夏子の『あみ子』も同じ圏内にある小説。

【表紙について】

S 表紙の絵はどういう意味だろう? 糸はどういう意味?

K  ピーターパンが飛ぶ時の糸を自分に直したのでは。

Y  右と左、2020、イヤホン。

S  白い丸は何? 泡? 

K  ピーターパンになる銀色の粉?

S  色が変わっているから、水の中にいて、右足だけ水面に出ている。溺れかけているということか。

I そうですね。そんな感じに見える。

Y がんじがらめになっている。同時に、糸で辛うじて地上に持ち上げていてくれる。

S 糸を操っている主は誰?

Y 多分母親。無責任、一緒に病院にも行かないし、一人暮らしさせてしまうし。

S  無理解な母親。

K 母親は分かってやっているのだろうか、さぼっているといい、散々言ってるでしょうとも言っていて、彼女を理解していない。

S  病院に行って診断されても、母親は認めたくないのだろう。

Y 恐怖支配のお母さん。

S  お姉さんは優秀で、安冨歩みたいな存在。京大入って東大に行って、母親の期待に応えてしまう。妹の女主人公に対しては無理解で、娘を糸でがんじがらめにして支配している。

Y 一人暮らしさせるのって相当です。ニーズに答えていない。放棄です。

S  お母さんは逆に祖母から支配されていて、私を置いて外国へ行くのかと脅されている。母親は自分にしてほしかったことを娘にしている。

K  母親は自立したかったし、娘に対しては、一人にすればできるようになると思ったのでは。

S  三代にわたる女性の支配の物語。

【普遍性】

Y すれちがっているのは、すり合わせしかないのですが。

K すれ違っていないというのも幻想でしかないのでは。

Y すれ違っているのを見るのは悲しい。諦めるより前に擦り合わせれば、致命的なすれ違いにはならないのでは。

S  定型発達から見るとそう思うのだけど、非定型から見ると、それはまるで頓珍漢ということでは。

K  誰もが発達障害の一段階にあると言われている。程度の問題だと。

I あみ子も人との繋がりに問題を抱えていて、近いものがある。

S  何かと問題があるが、もしかしたら自分もやってしまうかもという共感で読める。私たちがこの女主人公に共感を持てる、つまりこの小説が普遍性を持っているというのは、どういう仕掛け、どういう秘密があるのか? 

 具体的な本文から見て考えると、どんな描写が気になった?

I  ブログとかファン同士の関わりを見ていると、わりと普通にまともに語っていて、学校でのうまく行っていないのに対して、受け入れられる共感できる普通の言い方ができている。

Y 文章力はかなり。

K  文章を書けない人なんてたくさんいるわけだから。

S  かなり文章力のあるブログを書いている。劣等生とはとても思えない。計算ができない、漢字が覚えられないとか言っている割には文章は非常に立派。

Y 文章によって人の心を集める能力は高い。ブログにもたくさん読者さんがいる。

Y 言い方がかなりポエムで、描写が丁寧で、主観的に感性に響いたものに対する言語感覚が詩人というか、ロマンチックと言えばいいのか...

K プールの水に肉が溶け込んでいるとか。

I  お姉さんが車の外を見ているところとか、この子の視線ですよね。
S 自分が注目したところにだけ描写が詳しい。自分の視線が向いたところにはものすごく詳しくて、人が気が付かないようなことまで気がついてしまう。

 だから、推しのブログで、みんなが見ていないものを見て報告するから人気がある。推しの右の口角が上がっているというような報告。これを武器にして渡って行こうというのがある。

Y 泣く時に肉体に負けたくないというのが新鮮でした。

S  そういうのを含めて肉体・身体に対する注目度が高いと思う。

K  海水が体の中で燃えているというような。

S  特に、身体の中でも、皮膚に関する描写が多い。

K  境界部分ですか?

S 主体はどこにあるかという問題で、主体は心臓にあるか、頭にあるかというのは漱石の問題だったけれど、主体は皮膚にあるという第三の説がある。ちょうどこの小説は皮膚に自我があるという書き方をしているのではないか。Kさんが引いてくれたプールの水や海水の描写が皮膚を意識させる。

K 自分にはない感覚だから気になりました。

S  普通、主体は心臓とか頭にあると思われてきた。ここにきて、主体は皮膚に宿るという小説が誕生した。

Y 親指の描写があって、親指から世界が広がるという描写が気になりました。

S 何で親指なんだ?

Y 携帯で、お気に入りやリツリートは、親指でつける。だから、打った人に対する思いを発信する方法なんです。だから炎上していくときに、言葉の海に埋もれていく、飲み込まれていく感覚というのがよく分かる。

S  そうか、携帯の時代に、感情を表現するのは親指の先端であるということ。目はものを言うんじゃなくて、親指はものを言う。

 つまり、ある年代の人たちは決して親指で文章を書くことはないし、親指でいいねをつけることはない。しかし、ある年代以降は、親指ですべての感情を表現することができる。感情の場所、自我の位置が移動してしまった、それを記録した小説。

Y  携帯の画面と親指の目によって世界と繋がっている。生身の身体がそこにあって初めてというより、親指の感覚さえあればと。

S  私は親指であると言っている。これが自分たちのやり方だと宣言している小説なんだと思う。

I 背骨の描写も多いので、言葉の脊柱というような意味だと思ったのですが、もっと身体そのものの意味になっている。

Y  立っていられなくなるということでしょうか。

K  二足歩行は向いていないと言っている。

I  テレワークをしているとパソコンを持って移動して丸まっている。

S 山田詠美は最近の上野駅の小説を全部親指で書いたという。

 ずーと携帯を握りしめているわけでしょ、つまり、お前は携帯の一部であると。

K ノートと鉛筆だと、決してノートの一部にはならない。

S  主人としてノートに君臨している。そういう、主体の位置の逆転がある。

S  親指で書いて、携帯の一部として存在する。一人一人の独立した個人の存在が重要なのではなく、接触している、その接触面としての皮膚こそが自分の在処である、親指の先端とか。そういう自我のあり方を書いたことがこの小説の最も重要な点なんじゃないか。だから、純文学の王道である芥川賞が取れる。

Y 触れるとか、接触するというのが文学の永遠のテーマなんですね。ずーと、何かしらの作品を読んでいても境界線とか、触れるとか、融合するというのが絶対出てくる。

S それはちょっと逆で、主体こそ近代文学の重大テーマで、その主体の位置が皮膚に移動したということを書いたから、この人は純文学の王道の芥川賞になる。それが明らかに皮膚へ移動したということを書いたから新しい。

 だから、これを読むと、今までの小説もそういえばみな皮膚について書いていたよなと、今までの在り方を塗り変えてしまう。今までは、私の心はたしかに頭あるいは心臓にあったはずなんだ。

【本題】

Y 町田康が言うには、今を生きるすべての人にとって、いびつで切実な自尊心の保ち方を描いた物語と書いている。

S 自尊心はどのように保たれるのか? まざま座が解散して女主人公は死にかける。そこからどうやって回復できたのか、どうして回復できたのか?
Y  私は、推しが洗濯物を出す普通の人だということが分かったからだと思う。シャツを見て、目が覚めた。

S 洗濯物というわけだから、皮膚に接触する一番近いものだね。問いは、どうやったらこの人が推しなしで生きていけるか?

Y 最後は絶望的だが、光が見えた感じがする。流れ的に、なんかいい方向に向かっているぽい感じはする。

S 三島由紀夫の『金閣寺』の最後で煙草を吸って、さあ生きようと思ったと書いてあるが、どうしてそう思うか全然分からない。

K  ここで自分にとって一区切りついたということではないですか。

S  一区切りついたら、次を生きていけるのか? 三島の場合は、ただ単に戦争が終わったから死なないで済んだだけで。さあ気分を変えて戦後を生きようってことか?

I  肉の話が怒涛のように出てくる。婆ちゃんの肉と、自分の肉の戦慄きにしたがって、あたしはあたしを壊そうと思ったとある。

S  これも特殊なレンズを通しているので、書いてあることは読めるのだけれど、何を意味しているかは分からない。

Y 綿棒を投げるのを意識的に選んでいる。

K 意図的に片付けが楽な綿棒を選んでいる。

S 普通だと自傷する。死のうと思ったがなぜ死ねない、なぜ死ななかったか? どうしたら生き延びられるか?

Y なぜ推しが人を殴ったか、そのことと自分が繋がっていると書いてある。推しとの繋がりをまだ持っていて、キッパリ推しなしで生きて行こうとしているのではないようだ。

S そこをもう少しきちんと述べるとどうなる?

Y  他人の衝動が完全に自分に融合したということ? 今までなぜ彼を見ていたかというと、彼がする行動が私の何かを掻き立てるので、それで彼を知りたいと思っていたのですよね?

S それでは各自このテーマについて一分スピーチ。

つづく