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深沢七郎 「サロメの十字架」 20161115読書会テープ

【変な語り方】

S:年を取っていようが若かろうが結婚しようと思えば結婚相手なんだ、というようなアナーキーさが深沢七郎にはある。

S:ラブミー牧場や、「生まれることは屁と同じ」とか、知性とか理性とか区別をしない人なんだよね。『楢山節考』は、そういう区別のない人間が、年齢順に順番に死んでいくわけでしょう?

N:たしかに、日記とか読んでいたら、普通の人とはちょっと違う感覚があるのかなという気はしました。でも私が知ってる発達障害の特徴には、ちょっと当てはまらないのかなあと思うんですけど。変わっていること自体は間違いがないですよね。

S:変わっているのもその通りだし、そこに出てくる語り口の怖ろしく…何ていうんだろう、独創的な?語り方って何なんだろうっていうのは、深沢七郎を読んでいていつも思う。今日の語り方もそうだよね。何でこんなにオリジナルなんだろう?

N:ふしぎ。

S:それで発達障害みたいな言葉が出てくるんだけど、私たちが書くとこうならないのにこの人が書くとこうなる、この感じが何なんだろう?

【ママの交代】

S:人力車というバーで、ママがいて、純子がいる。そして社長が純子と出来ちゃったんで、ママを純子に交代させようとする。この交代が一回目、次がもう一人の女はるみ。

S:はるみは途中から来て、何か上等な客を持っている…。

K:あれはアケミ。

N:アケミはすぐ消えましたね。

S:アケミがママになる感じだったのに消えて、ママが純子に交代し、さらに純子ははるみに交代する。社長がまた一週間前からはるみと出来ていて。すると、やっぱり交代モノか。

N:そうですね。

S:ママのアパートに、同じように純子が入る。

K:同じところに次の人が住む。純子もまた追い出されて、今度ははるみがそこに入る。

N:枠がある感じですよね。

K:『楢山節考』と同じ頃の作品?

S:ループというか、順繰りの小説になってるよね。

S:H君の話では、女性版の「東京のプリンスたち」だって言うんだけれども、「東京のプリンスたち」よりも循環の話がくっきり出ている。

サロメ

S:ところで、なぜ「サロメの十字架」なんだろう?

K:どうしてサロメが出てくるのか…。十字架に関係するようなのも全くないでしょう?

S: サロメってあのサロメ? サロメという若い娘が、ヨカナーンの首をくれという話。義父のヘロデ王サロメに惚れていて、お母さんを飛び越して、裸のサロメの踊りを見たいと言う。母親とサロメの交代がある。

K:そういう意味でママとホステスの交代があるのか。

S:「自分の子と同じに」(p.144)と何回も言っている。「おまえが可愛いんだよ」(p.150)。社長は、ママの次に今度はその娘を欲する。

S:それとも、十字架にかかったイエスの弟子の聖女サロメ? (それとも、後の1980年ごろに話題になったイエスの方舟を思い出す。おっちゃんと呼ばれる千石イエスの元で若い女性がホステスをしながら共同生活をする。)

アメリカシロヒトリとアメリカ毒蛾】

N:この人の小説は、まだ日記くらいしか読んでないですけど、たぶん技巧的なんだろうけど全然そんな風に見えないっていうか・・・

S:ヘタウマ?

N:町田康とかだったら、もっと分かりやすく、ガチガチに構成を作り込まれた感じがするんですけど、こういう風にサラッと書いちゃうのがすごいなっていう感じがします。

S:では、アケミはどうして途中からいなくなっちゃったんだろう?技巧的だとすれば、アケミの行方を考えなくちゃいけないんだけど。

S:アケミというホステス、その新しいホステスが自分よりも上等の着物を着て、自分がついていきたい、ママ候補で、てっきりママになるって思ったのに、肩透かしを食わされて、純子がママになる。この肩透かしを食わすところが、話としては面白い。

S:つまり、いい客筋を持っていて、いい着物持っている凄腕のホステスが、社長に送り込まれてきた。みんなそこで、アケミを次のママっていうふうに認めつつあった。それなのに、急に純子だって話に変わってしまう。ここのところ、技巧があるとすればここだと思うんだけど。

N:ふつうならアケミがなってますよね。確かに。

S:何でここで肩透かしになるんだろう。

S:それとアメリカシロヒトリの話が出てくるでしょう?アメリカシロヒトリと、

N:毒蛾ですか

S:毒蛾、これだと比喩になる。アメリカというお大尽の親分がやってきて、それに従おうと思ったら、案外そうじゃない、というような比喩の話になっている気がする。

S:アメリカシロヒトリって、アメリカからの帰化動物外来種で、つまりアメリカから人がやってきて、それと一緒に入ってきちゃった。つまり占領主、占領軍になるんじゃなかったか。

K:「桜・桑・鈴懸の木など多くの木の葉を食害」

S:桜が猛烈にやられて、つまりアメリカシロヒトリがアメリカだとすると、桜が日本ということ。

K:1946年に日本に侵入。ちょうど終戦直後。

S:ああそうなんだ。じゃあやっぱり進駐軍と一緒に入ってきた。これは面白いね。

N:ふうん、桜は日本、なるほど。

S:つまり、アメリカからの進駐軍であるアケミがやって来て、支配して、ママになりそうになったところを、これまでずっとやってきた反復・循環・繰り返しのリズム、日本のリズムの方が強かった、そういう話になるのではないか。

N:でも、ここでは、ママが次にママになる純子に対して、言ってますよね。

S:そうか逆か、うーん逆か。

N:アケミに対しては何にも言ってないですね。

K:ママとアケミは出会ってないの?

N:いや、一応…でも気づいてなかったですね。ママが全く見てなかった。

K:「新しい子が来るよ」とは言ってたけど。

S:純子とママとがなんかがあったっていうのはみんなそろそろ知っていて、その話でアケミの話がどっか行っちゃったんだよね

N:そうですね。

K:それはアケミが別範疇のものだからじゃないですか。ママ=純子っていうのは想定されたことで、社長の気まぐれによって、いつでも変わるわけでしょう、たぶん。アケミはここの社長とは関係がなかったのかな?

N:ここの社長とは関係なさそうですね。アケミにはまた別のアケミの事情があるみたいだね。

K:アケミは別のものだから進駐軍なんでしょうやっぱり。で、よそから来た人は出ていった。それだったら成り立つんじゃないですか。アメリカはいずれ帰って行き、土着の者に引き継がれる。ただアメリカシロヒトリをわざわざ純子に当てて呼んでるっていう所が説明がつかない。

N:本当はそう呼ばれる対象はアケミだったはずのに。

N:ママが「アメリカシロヒトリ」という名前をずっと覚えられずに、「アメリカ毒蛾」と言ってますよね。だから浅知恵で、本当は誰がアメリカなのか分かっていなかった。

S:ああそうか、「アメリカシロヒトリ」だとアケミになるはずなのに、「アメリカ毒蛾」って呼ばれたときに純子に変わってしまったと。(そこにチェンジがある)

N:名前覚えられていないから、そんな感じがあるなあと。

S:小説の後にアメリカの影はありそうだ。戦争が終わった後ってね、戦後に書かなくちゃいけないことっていうのがあるんだよね。

K:「サロメの十字架」は「新潮」の1967年3月号になってます。

S:アケミはアケミでどこかの店から追い出されて、違う店にやって来ている。ホステスが色々なループを使って移動している。

K:「前の店の名前じゃなくて、その前の店の名前だ」。

S:アケミの方が高級なループに属してる。この小説は、何が面白くて書いたかっていうと、ホステスたちのループの問題。ネットワークというのか、ループの交代の問題が面白くて書いているのではないかと思う。

K:「30万を15万にまけさせた」っていうのは…あれは何でしたっけ。

S:桁としては20万くらいっていうのと100万っていうのと、1000円単位、100円単位。桁がそれぞれ違ってループができている。純子の前のママは100万ではなく20万くらいしか持って行けなかった。金額的には20倍だとしても20万だったらば400万円ぐらい。60年代、オイルショック前だったらそんなもんじゃないかな。

K:オイルショックは73年。

S:この話の後。だから割とまだのんびりしている。