清風読書会

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ヘンリー・ジェイムズ 「教え子」その2 20230205読書会テープ

【資本主義前夜】

M これ読んでいて資本主義の話に思える。私の今の仕事はリース取引で、会社が物を買ってその代金と利息をお客さんからもらいながら、その物を貸す、金融商品なのですが、これをしていると騙ましている感がすごくある。この小説は、資本主義に翻弄されている青年のように読めるが、この子供はどういう位置づけになるか、よく分からない。家族は明らかに大資本家的な詐欺師的な行動をしていると思うのですが、この子供は何であるのか、どういう位置づけになるのか。
S 贋金を流通させている中で、モーガンはその中に混じった金貨であるような。悪貨が良貨を駆逐するように、モーガンは駆逐されてしまった。

M 喜びすぎて死んでしまう。その死に方は何なんだろう。

K お兄さんはちゃんと稼いでいるとあるが、クラブの賭け事で稼いでいる。プーシキンの小説に出てきたように最終的には必ず負ける。

S これも資本主義と関係がありそうだね。資本主義がきちんと働いていないから、若者はそこで賭け事をするぐらいしか収入が得られない。まともに資本主義が働いていれば兄もちゃんと仕事をして生計が立てられる。
S テンバートンの学歴はイェール大学からオックスフォード、かなりなエリート。わずかな遺産を使い果たして、学歴によって上昇しようとしている途中で、2、3年モーリン一家に捕まって、詐欺に引っかかって、ただ働きをさせられている。これも資本主義がきちんと成立していないときの現象なのかなと思う。
M 反知性主義ポピュリズムですね。

S アメリカ人一家がヨーロッパに行って、二人の娘を結婚させようとしている、これが客観的な姿。そういう場合、他の作品を見ると、アメリカ人は新興財閥お金持ちで、その持参金付きの娘が、ヨーロッパのお金のない貴族と結婚する。その両者の結婚は、たがいに騙しあう詐欺の関係。地位や身分と、お金を交換する騙しあいになる。ヨーロッパからアメリカ人はどう見られていたかというと、バケツを売って金持ちになったんでしょうという軽蔑の対象になっている。

 そういう卑しいアメリカ人がお金の力で娘を売り込むというのがヨーロッパ人には詐欺に見える。詐欺一家というのは、誰から見て詐欺師なのかをよく考えてみる必要がある。

S 姉二人は侯爵のような結婚相手のあてがあった。お花をくれる人。ところが花だけ届けて求婚はなかった。

K グレンジャー氏はオペラに現れなかった。
S モーリン氏はアメリカの金持ちのふりをして二人を結婚させようとしているが、ヨーロッパの卿たちは結婚をちらつかせて結局求婚しない、どちらが詐欺かはかなり微妙な問題。そもそも結婚自体が詐欺交換のようなものでは?

H モーリン一家が詐欺師だと思ってきたが、あらゆる人がたがいに騙しあいをしている。あらゆる結婚は詐欺に見えるし、教育も詐欺かもしれない。

K 洗脳だし。

H モーガンはかなりテンバートンの影響を受けていく。最初はモーリン一家がどういう家族かという秘密があったが、その秘密を真ん中においてモーガンとテンバートンの駆け引きがあったけれど、途中からは相互に理解しあっているのでは。

【秘密】

S 秘密を真ん中にして会話する、これが普遍的な対話や会話の基本形ではないか。あらゆる場合に秘密を間において話をする、その秘密を、いかにして見せるか、読み取るかということをしているのが会話であり対話であり、これが基本的なジェイムズの文章についての考え方ではないか。

人間が会話をするということについて、秘密を間において話をする。虹色な、どうにでも見える秘密を間におくというのがジェイムズの文章の特色なんじゃないか。

 ヘンリー・ジェイムズの文章を読んでいると、何か見えないもの、何かよく分からないものが置いてある感じがする。それを勝手に解釈するとこう見えたり、見通したりすると変なものが見えたりする。虹色の変わりうる秘密を置いて会話するというのが基本形ではないか。

H モーリー夫人とペンパートンの会話でも、モーガンにもう話したかどうかとか、モーガンの心の秘密とか、間にモーガンという秘密を置いて会話している。

S 最初はお給料の金額を聞こうとして聞きえなかった。金額の秘密。それからモーガンが天才児であるとかそうでないとか。分からないものとしてのモーガンについて語る。不透明なものが会話のあり方として出ているから、ジェイムズは延々とそれについて書く。延々と書くけれども、その秘密はいくら書いても明らかにならない。

K その秘密を大げさに言うと心理に置き換えることもできるのでは?

S 教養があって知性が高いと心理だというふうに読み間違えたりする。もっと即物的に不透明なものが間にあるということ。それで、小説の最後と最初で、この秘密は明らかにされたというより秘密が深くなったと言わざるをえないのではないか?

H モーガンの死についても、なぜ死んだのか分からない。テンバートンの言うこととモーリー夫人の言うことも異なっている。モーリー氏の冷静さも。

M アングロサクソン系の子供とは?

K アメリカの子供ということ?

S イギリスもアングロサクソンでは? 

M ロンドンは土着のお金持ちという印象があります。ペンパートンはロンドンの家庭教師先から出てきてしまう。

S ヨーロッパに対する新興国アメリカは、お金だけあって文化的にも教養的にも劣っていると考えられていて、モーリン一家は、ジプシーのようだとあるように、アメリカ出身の定着しない胡散臭い一家と考えられていたのだろう。ジェイムズ一家も、アメリカでは十分な教育が受けられないと考えたので、子供の頃からヨーロッパの各地を巡ったという。

 ヨーロッパの文化資本を備えている立派な紳士階級の人々に、アメリカの新興の流れ者が何とかして食い込もうとする話。そのときに騙し騙される関係が生じる。ヨーロッパが一方的に文化的に高いとかモラルが高いとはいえないのがジェイムズの小説の通例になっている。

M 京都と東京のような。

S 誰から見てモーガンが天才児かという問題がある。母から見て天才児だけれど、ペンパートンはそれに最初からかなり影響されている。

M モーガンが天才というのはどういうところでしょう?

S モーリン一家が一家だけに通じる言語を使うというところ。これってヴィトゲンシュタインの私的言語のようなものじゃないかな。ヴィトゲンシュタインは超有名一家で、モーリン一家の頑張っているところがちょっと彷彿する。それからこの頃天才が輩出する。ノイマンとかチューリングとか、チューリングホモセクシュアルで獄死している。

 天才と芸術家が一緒になってヨーロッパやアメリカの社交界を牽引している。そういう背景を思うと、この話は、天才児が死んでしまった、殺してしまった、私たちが殺した。凡庸な人間が天才を殺してしまう話に思えてくる。