清風読書会

© 引用はアドレスと清風読書会を明記して下さい。

太宰治「ヴィヨンの妻」 20200425読書会テープ

【はじめに】

 登場人物は、大谷という作家、その妻、こどもが一人。一方、上州から出て来て小料理屋を開いている夫婦。戦前から戦後にかけて大谷に魅入られたように酒を飲み干されてしまう。今回事件が起きて、年末の押し詰まって、ようやく5000円を集めてきて、これで仕入れをするはずだった。ところが大谷はその金をむんずと掴んで逃げてしまった。大谷を追って奥さんのところまで追いかけて来た。警察沙汰だと息巻くのを妻が明日金を返すと宥めて帰す。翌日店まで行ってくるくる働きはじめる。大谷の知り合いの女性が立て替えて5000円の事件は片付いた。大谷は女性と見ると手を出すたちで、小料理屋の妻とも関係を持ったらしい。お店は繁盛しはじめ、主人は身体も頭も具合の悪い大谷のこどもを跡取りだと言い出し、大谷の妻は住み込みになって、八方うまく回り出す。

【日本永代蔵】

S 時期としては戦後すぐの必死の時代、1947年の発表。身なりの良い奥さんが水酒を騙して売りに来るような。

Y 奥さんが最後の方になると、お若いわね、まだ未熟でいらっしゃるというように、成熟感が奥さんに出てくる。

S 奥さんが前半と後半で変わるよね。

H 家を出て行動を開始する。それまでは家で待っていた。

S 奥さんお幾つですかと言われて驚かれているから、相当窶れていた。それから中野の店に出るようになって、何だか色気が出てきて、くるくる働き出したと言っている。

 時間としては大晦日の話。

K クリスマスイブの前日だから23日。

S この時期の話は、伝統的に、掛取、借金の精算、それを済ましてやっと新年が来る。日本永代蔵などのように、5000円を済まさないと、年が明けない、年を越すことができない。この大晦日の近代バージョン。

 ところが5000円は済んでしまう。妻は嘘だと分かっているのに、この1、2日のうちにお金を持ってきてくれるという嘘をつく。その嘘が実際にそうなって5000円持ってきてくれる人がいる。それがすごく面白い。これは予祝。妻が言葉に出して言うと実際にそうなるというのが予祝。奥さんが何か言うと、それが現実に実現する力がある。

H 夫と妻は対照的に描かれている。夫の大谷の方は、疫病神のように、魅込まれたとか、魔物とか。妻の方は、居酒屋に入った途端一挙に繁盛して、福の神のように描かれている。

S 疫病神と福の神のセットが船に乗ってやって来る。

Y それは年末っぽい。

H クリスマスと年末が一緒になって奇跡が起こる話かなと。クリスマスおめでとうというのが面白い言い方。

S この夫婦には、教養差があり、貴族と庶民のような階級差がある。

K 貴族と言っても、男爵の別家の次男といういかがわしさ。

フランソワ・ヴィヨン

S 太宰の色の白さときたら、超モテ男。

Y これはやっぱり太宰なんですか。

S 太宰という文士の面影とフランソワ・ヴィヨンの下敷がある。ヴィヨンのというのは結構な文学者なんだけれど無頼で人殺し。誰か非常に有名なヴィヨンの小説を書いていて、それを読むと太宰とそっくり。大谷はそれをかなりなぞっている。

K 15世紀の詩人。司祭を殺すことになったとある。

H 窃盗団に入っているのも、大谷がなぞっている。

S 夜中に司祭に泊めてもらいたいと言って家に入れてもらい、その司祭を殺してしまう悪行。ええと、「ジキル博士とハイド氏」を書いた、「宝島」の作者、スティーヴンソンの小説「一夜」。表向きは非常に立派な紳士ジキル博士が、薬を飲むと人間の中に隠されていた悪い面が表に出て、夜中に出歩いて殺人や盗みをする。人間の二面性を非常に早く書いたのが「ジキル博士とハイド氏」(1886年刊)。「一夜」も、ヴィヨンという悪童であり、かつ神に最も近い人間を描いた。のちにドストエフスキーが書くことになるテーマ。「罪と罰」や、犯罪者であるとともに神に近い「白痴」のような作品、「カラマーゾフ」のような作品を書いた。「人間失格」でも、神様のような子でしたという台詞がある。

K この作品でも、神はいるんですねという台詞がある。3の後ろの方。「へんな、こわい神様のようなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」

S この辺りの会話が、スティーヴンソンやドストエフスキーと非常によく重なる。日本版のドストエフスキーの会話になる。

HYK なるほど。

S 太宰は常に聖書とかキリスト教を作品に書くが、信仰があったとも思えないので、よく分からないが、先にドストエフスキーを学んで、ドストエフスキーの葛藤が神の問題だということになると、神がいないとこういう葛藤が書けないという逆のコースなら、分かるような気がする。

Y すごいなあ。神がいないと葛藤ができないというのは。

K 単純に信仰があったとは思えない。

H 確か神様は信じないけれど聖書のファンだという言い方をしていたと思う。

S ドストエフスキーを読んだら、なぜ人間がこんなに深刻に悩んでいるんだろう、私たちはこういう風には悩めないのではないかという、そういう気はしない?

K 3日経てば状況は変わるだろう。3尺流れれば水清しというのが私たち。

S つまり、ああいう文学作品で、人間が死ぬほど悩んで、死ぬほど葛藤して、死ぬほど長い小説を書くという体力も精神力も、畢竟私たちにはないんじゃないかという、そういう絶望感。

H 確かに。神がいないと葛藤がない。

S 神様のような人がいて3日前のこともちゃんと記録して覚えて置いてくれないと、私たちにはこういう深刻な葛藤はできないんじゃないか。

Y 流れていくスピードも早い。

K 甘利なんかでも私は決して忘れないぞ。

S この居酒屋の夫婦だって、大谷が毎回毎回酷いことをしているのに忘れてしまう。そうしてズルズルと戦前から戦後にかけてずっとお付き合いが続いている。

K あまりに呆れて笑ってしまう。

S これ奥さんが出てきてからです。殺気を帯びて追いかけてきた主人が、奥さんが出て来ると、怒りがふーと消えてしまう。

Y 奥さんのヴィジュアル、このあたりから神々しくなっていく。

S これがヴィヨンではなくヴィヨンの妻が主人公になっている理由。大谷はヴィヨンのパロディ道化にしかなれない。神がいないので、ああいう深刻な葛藤を悩めないとしたら、大谷は道化になるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰治「作家の手帖」その5

【美しくのんきな女たち】

S さらに問題は残る。のんきで美しいを価値として私たちは認められるのかどうか?

K 責任がないからのんきで美しいんでしょう。

S 戦争のまっただ中なのに、無心に、つまり戦争のことなど一切考えないでいられることに、無責任さはないのか。

K それはありますよ。

S ほら、それはKさんが主体性をもった個人だから、そういわざるを得ないわけです。

Y 私たちはみんなあるとき主体性がある人間にすり替わってしまった。今一番中動態があるのは、無心に洗濯物を回してくれる洗濯機や冷蔵庫。

S その通り。1945年になっていきなり私たちは女性も主体になった。そうしたら、太宰のこの小説に対して、のんきで美しいのは無責任だと言わざるをえなくなった。これは無責任だと言わざるを得ないし、言ったほうがいいと思う。

 しかし、のんきで美しいには何の可能性もないのか?

Yさっきの第二段落の火の話に戻るわけですね。

S 太宰は中動態の女を再発見している。無心にお洗濯を楽しんでいる女を再発見している。

Y中動態でいられるのはしあわせで安定している。

Kそれは保護されているんだから当然。だって稼いでないんだから。

S それだと、保護されている、人に養われているという受動態になってしまう。主体で考えるとそうなってしまう。中動態はそうではない、宙に浮いている。

S 私たちは中動態をいまだにちゃんと持っている。夫婦関係はむしろ中動態、人間関係こそ中動態。犬の散歩も、散歩してやっていると思っているけれど、散歩させていただいているんだね。受動と能動が区別できない領域があることを私たちは知っている。

K あんなにたいへんだった育児も、終わってみればあんなに楽しませてもらった。

S お互いがお互いにとって「はばかりさま」なんだね。離婚になると受動と能動を無理して分ける。

S しかし、美しくのんきを発見しているというのは、それでもなおひっかかる。

K 良妻賢母にもつながっていそうだし。

H 戦争の中にあって、切り離されて自己完結しているというのは、僕自身が学校で感じることが多い。先生たちは受験に向かって走っているが僕は走れない、求められるのは教えることだけれども、僕は生徒に教えられて、教えるをやろうとしている、それは学校の中で、無責任でのんきな授業だと言われる。

S 受験戦争では勝った負けたで査定されるけれども、そうではない○×式でないところで教育をしようとすると、おまえはのんきで無責任だと言われてしまうということかな。

H これは昔から好きな短編なんですが、山下澄人の間接話法に近いところがある、はばかりさまとか、そういうところにいつも僕は惹かれている。

S  勝つか負けるかではないところがのんきで美しい、それこそが文化である。これこそが文化だというところが残りさえすれば、戦争に勝とうが負けようが大丈夫だと太宰は言っている。

Y 洗濯を文化に置き換えるとよく分かる。

S なるほど、素晴らしい。

Y文化は仕事のうちで一番楽しい、ただ意味がないまま、そのままで文化を楽しむ。

S この短編は、言っていることの表面よりずっと大きなことを言っている。

Y 勝敗の鍵を握るのは文化的な日本の女たちであると。

S 一種の文化防衛論でしょ。三島の文化防衛論は妙なところへ行ってしまったけど。太宰こそまさしく文化防衛論で、この美しくのんきな女のお洗濯さえ残れば日本は大丈夫だと言っている。

Y 少し話が変わるけれど、最近じーんときたことがあって、内の娘がずーと同じ事を繰り返している、積み木を積んでは崩して無心に続けているのを見て大丈夫だと思った。その感覚と似ているなあと。

 この娘の中でこれが時間として刻まれて成長していく過程なんだなと。外ではコロナが吹き荒れているけれどこの子の中では何かがちゃんと始まっているというのがうれしかった。

S あんたはすごい。実はね、この洗濯は漱石から来ていると思う。漱石の『明暗』に、隣家の屋上で洗濯物を干しながら洗濯屋が繰り返し繰り返し俗謡を歌う。それだと思う。

Y まんまですね。

S それを聴いているのが『明暗』の主人公である主体としての男、津田で、洗濯屋の俗謡が耳につくのだけれど何が気になるのか全然分かっていない。分かっていないから、しょうもないことをたくさんする。しょうもないことの一つは、元彼女が湯治している温泉場へ、のこのこ訪ねて行ったりする。馬鹿でしょう。

  太宰はこれを直接引用しているんじゃないかと思う。『明暗』の114回に次のようにある。

洗濯屋の男は、俗歌をうたいながら、区切くぎり区切へシッシッシという言葉を入れた。それがいかにも忙がしそうに手を働かせている彼らの姿を津田に想像させた。
 彼らは突然変な穴から白い物を担いで屋根へ出た。それから物干へのぼって、その白いものを隙間すきまなく秋の空へ広げた。ここへ来てから、日ごとに繰り返される彼らの所作しょさは単調であった。しかし勤勉であった。それがはたして何を意味しているか津田にはわからなかった。

 

S 成長はそういう繰り返しの中からしか生じない。毎回同じ事を繰り返している洗濯屋にははっと気がつく契機がある。それなのに主体的に生きようとしている津田は、暗中に閉じ込められて迷走し、いつまでもそれに気がつかない。

【おわりに】

H はばかりさまと、やさしい母さんは分かってきたのですが、最初の七夕の少女の歌にはっとする理由がよく分からない。つつましいほどよいというところ。

S 一つ目の短冊は自分の上達ばかり望んでいるが、二つめの短冊は日本の国をお守り下さい、自分を国家に委ねてしまっているように見える。社会を飛び越えて急に大君と日本の国になってしまっている。

K 当時の学校教育にすりこまれたのだと思う。

Sでは、すりこまれたことばになぜ作家がはっとするのか?

S 最後の洗濯する女と同じように、自分の主体を消していくのを清浄なと言っている。

H  これ歌ですよね。両方歌ですよね。

Y 社会がなくて、大きなものに直結しているということを考えると、洗濯のお母さんも自分と大きなものだけになるところがよく似ている、社会がないところ。

S ただ、洗濯のお母さんの方は、大きなものも消えている。戦争しているとか戦争に負けそうだとか、世界や国家は消えている。

K 今目前やっていることの楽しさだけになる。

S そうか、最初の少女の短冊では、自分をなくして無心になる、最後になると、国家や世界も消えていって、目前の洗濯だけになる。これが則天去私。

H 幼女だからこれでいいのでしょうか。まずは自分をなくす。

S幼女だから、今仮に大君だったり日本国だったりにしておく。具体的な国家・世界の中に仮置きする。こどもは特定の文化の中に偶然に産み落とされる。

Y 仮置き。

S 大人になったら、大君はアメリカにとっては大統領、日本にとっては天皇、というようにそれぞれの土地でいろいろあって、相対化ができるようになると考えてはどうか?

S 「君が代」の元歌は、古今集の「わが君は、千代に八千代に・・・」という歌で、必ずしも天皇を指すわけではなかった。夫とか背の君のような二人称を指すということは、君が代研究で言われている。この大君にも、こういう読み換え可能な多重性があるのではないかな。

H 星に物語を読むというのも読み換えが可能で、 大君とお星様が並んでいるのが示唆的。

S 星がいろいろなお話を持つように、大君もそれぞれの土地でいろいろな大君がありうる。世界中に星の話があるのが明らかな証拠。

H めっちゃ元気になる、この話。

S 敗戦間際のしょうもないときに、こういう小説を書いたかと思うと、現代私たちは負けている。ことばの多様性、世界の多様性をちゃんと希望として出している。私たちの能力の低さに打ちのめされる。

Y 私たちは、もっとことばに希望を託さないとだめですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰治「作家の手帖」その4

アメリカの母さんと日本の母さん】

S 最後の段落でアメリカの女と日本の女というのが表に出ているところがひっかかる。これをどう考えたらよいか?

K この最後の段落3行か4行、これは書かされたのか、ご時世か? だから騙されているという感じがする。

S 日中戦争は1941年にアメリカが参戦して対米戦争になる。この作品が発表されたのが1943年だから、アメリカ参戦問題が、この最後の3行に入っているということにならないか? 恐い小説。このアメリカの婦人問題は、日中戦争の太平洋戦争化に対応している。そして、女たちが戦争の鍵を握っていると言っている。男の戦争と女の戦争の対比がある。

S 気障で気絶のまねをするアメリカと洗濯する日本の女という、心とか精神とか文化的問題。男たちは競争し、勝ち負けを競うが、女たちはそれとは違うところにいる。

K ネズミを見て気絶するというのは男性に見せるためだろう、それに対して、日本の女たちは洗濯して個人として自足していると言っている。

Y のんきと美しいが並列すると違和感があるのですが。

S のんきで美しいというのはかなり異様でほとんどありえない。

K 洗濯するのがのんきは分かる、夏に井戸水に触っていれば涼しく気持ちよい。

Y 美しいも分かるし、のんきも分かるが、のんきで美しいが合わさると途端に変なの。

H 組み合わせがびっくりする。

S なんだか変。何が変なんだろう? 無心にというのがある。

Y 中動か? 洗濯は中動じゃね? 授乳も中動。差し迫っているからやるけれどやりたくてやっているわけではない。

K 家事一般が中動。家事は自分のためでもあるから受動だけではない。

Y 職員会議も中動では。

K事務仕事は中動。

S事務仕事が女に回ってくると言うのはそういう意味。能動的な仕事は男がやって、事務仕事は女がする。そういう中動仕事に安住しているのが、のんきではないか。男は外で営業したり、受注したりする。帰ってきて事務仕事を女に任せる。女はそれが儲かるかとか適正かとか、何も考えないで処理するだけでよい中動の仕事をする。戦争は男の仕事であって主体の仕事、銃後の女は、のんきに安住している。能動でも受動でもない中動の仕事をしている。

Y そこで完結しているからのんきに美しい。

S 自分は飢えて死んで藻屑になっても、家に残した女子供たちはゆたかにのんきに美しくあると思ってはじめて、男たちはこの無意味で無謀な戦争を何とか戦うことができた。特攻隊の遺書とか、そういう書き方をしている

H僕も今は洗濯してますもの。

S それ仕事じゃないと思っているでしょ。男は中動の仕事に耐えられないのだよ。目的があって、達成があることしか仕事だと思えない。

Y 能動的な仕事をどんどんこなすのも大切だと思うけれど、男は、それ以外のことは面倒だなあと思っている。

K お金払っていないシャドウワーク

S アメリカの女たちは気障で男たちに見せているというのがあると思うけれど、それはアメリカの女が主体であるということだね。

K 不平を言うというのがそうだと思う。文句を言えば何かしなければならない。女の兵士も早くからいるし。

アメリカでは女も主体であった。

 Y 主体性があると美しくのんきではなくなるということ?

S そういうこと。

Y 返して言うと、美しくのんきにしていないということ自体は悪口ではなかったということですね。

H もう一度言ってもらえますか。

Y 最初に読んだとき、アメリカを悪く言っているなといういやな感じがあったが、日本の女性たちはのんきに美しくしているというのは、中動的に生きて安住して完結している、そして男たちはそれを守るために戦っている。アメリカの女が不平を言い、主体的に生きているのは悪いことではない、だから悪口ではないということになる。

H 主体性があるという面ではよいということですか。

K アメリカの女性は個人であるということですね。

Y アメリカの女性はアメリカの女性でそう生きているし、日本の女性は日本の女性でそう生きているだけで、並列しただけ。

S さらにそのあと、女が勝敗の鍵を握っている、楽観している。そのところが分からない。アメリカの女と日本の女のどちらが勝つと言っているの?

S のんきな美しい女たちが大丈夫だと言っている。

K みんなが男になってみんなが戦争に出たら、みんなが死んでしまうか。

S のんきな女たちが残りさえすれば、男たちが負けても、男たちの戦争が負けても、のんきな美しい女たちが残れば私たちは大丈夫だということ。

K 文化は残るということでしょう。生き残りさえすればいい。

Sはっきり言って、男たちの戦争は間違いだし負けるに決まっているが、こののんきな美しい女たちが残りさえすれば将来は楽観できるというふうに言っているように読める。

ヴィヨンの妻の最後も、私たちは生きていさえすればいいと言っている、あれと同じではないか。

S なんでそう考えるかというと、戦争は負けるとこの時代には直接率直には書けないだろう。だけどこういう風に書けば、男たちの戦争はこれは負けるに決まっている、それを言う必要はない、その代わりに、それを言う代わりに、こののんきな美しい女たちさえ残れば将来は楽観できると言っている。つまり、間接的に、この男の戦争は負けると言っているのと同じになるのではないかな。

K それなら納得できる。

H そうか。

Y 薄く読むと、最後にアメリカのことを悪く言っているように読める。だから騙されたという感じがあった。

S 男たちのこの戦争は必ず負ける、男たちの戦争はしょうもないということを、巧妙に間接的に言っている。

K 男の行き方では負けると言っている。

 

 

太宰治「作家の手帖」その3

【母さんの洗濯】

H 井戸端の母さんということばも同じですね。こどもがいる自分自身とも言えるし、もっと無名の存在のお母さんという意味ももってしまう。世代的にどちらに向かっても使える。自分でもあるし、無名でもあるし、両義的な使われ方。

K 奥さんのことを母さんと言ったり、女性一般を指したりする。

Y この母さんも少女の歌もカタカナが嫌らしい、何か隠されている。

H そういえば、3段落ともカタカナ表記の部分、歌の部分がある。

S この母さんのカタカナ。自分のお母さんでもあり、人のお母さんでもある、という自分と他人との区別を乗り越えるという用例になるかな。2段落目は階級を跳び越える用例、3段落目は自分の母さんと人の母さんという主語の範囲を超える用例。

 一人称と二人称が交代することがあるとともに、一般名詞と固有名詞の交代がある。

Y 自分のことを歌っているんだったらなんだかなあと思っていたが、自分の母さんの意味はもう消失していて、それを「意味がない」と言っているのかな。

K 単なるリズムなんじゃない?

S 自分のことを歌っているんだったら,、自慢しているとかになるけれどというのは、第一段落で七夕に自分の書道の上達しか望んでいないというのと同じではないか。第一段落では、自分の望みしか言っていない短冊、第三段落では、自分のことしか歌っていない歌という対比がある。

 第三段落はさらにその先があって、自分個人ではなく、お母さん一般のことを歌っているというのは、自分と人々一般との差異を超えることにならないか。自分だけのことを歌っているのに、歌っているうちにお母さん一般の歌になる。逆に言えば、言語はみんなのものだけど、私がそれを使えば私だけのお母さんを指し示せる。

 これをヴィトゲンシュタインは私的言語はないと言ったのではなかったかな。言語はすべて他人のもの。私と他人との区別・差異を超える力があるのがことばである。だから、ことばこそ希望の種である。

 みんな我利我利亡者で自分のことしか言わず、自分だけのための物語を語っていても、それを言語で書くと、それはあなたのことだけじゃなくて、他の人にも通用するみんなの物語になる。それを人が読むとあなただけの物語ではなくなる。物語は、自分と人の区別を跳び越えることができる。それが希望である。

Y 希望の定義が素晴らしい。

H 面白い.

S これさえ押さえれば大丈夫だというキーポイントを太宰は書いた。

Y まだ、なおなお、どこか煙に巻かれているところがある。

 

 

 

 

太宰治「作家の手帖」その2

【階級を超える】

Y 煙草の火を貸すとかもらうとかいうのが、太宰の世界の大きさを表現している。コミュニティーとか、他者のとらえかた。

K いつも自分は多数派になれない。

Y ここで長々と書かれた関係性の話は何を意味しているのだろう?

S 全体を見ておくと、一行あけで示される3つのパートに分かれている。七夕の話、祭礼の曲馬団と火を貸すこと、井戸辺の女の話。

S この第二段落、これ階級の話でしょう?地主階級と無産階級。

H その階級の違いを、煙草の火の貸し借りでつながるということですよね。はばかりさまということば、どういう意味かよく分からない、ある種とんちんかんなことばに可能性を見いだしているわけですよね。

S 私たちはもうすでに、はばかりさまということばをうまく使えない。

K はばかりさまには、辞書的には、1)恐縮の至りという世話になるときの挨拶のことば、2)出し抜くときのお気の毒様という意味の二つがあり、どちらもこの場合には合わない。だから奥さんがとんちんかんと言うのは正しい。

 1)は、こちらが相手に世話になるときの挨拶のことば。

Y 恐れ入りますとか、ご苦労様という意味。

K 恐れ入ります、火を貸して下さいは、火を貸してあげる方が言うことばではない。

H 借りる方が言うことばですね。

S はばかりながら火を貸して下さい、というのでいいかな。

Y もらってくれてありがとう的な? 

S うんうん、それ。

K もらってくれてありがとうというのは、向こうが貸してくれと言っているのに、そう言うのはおかしくない?

Y そういう心境分かるけれどなあ。

K 心境はそうでも、一般的にはそう使うかな?

S 火を与える方か、与えられる方かというのが話題になっているけれど、それ、逆転しても大丈夫だということにならないか。そうしたら、もらうともらわれるが、地主階級と無産階級で交代できるということにならないか。はばかりさまを、与えると与えられる両方で使えるようにすれば、階級の差がこのことば一つで消える。

 いまの流行のことばでいうと、受動でもなければ能動でもない中動態。はばかりさまということばを中動態として使えれば、階級の差異はなくなる。

H 能動でもなく、受動でもなく、中動。

S 中動態は古代ギリシア語の文法に出てくる。國分功一郎という人が、この中動態をキーワードにして本を出しているので、話題になっている。自己意志で行動することと受動とは、実はそんなにはっきりきれいに分かれないという発見。

H はばかりさまには元々そういう要素があるのでしょうか?

S 受動と能動が交差するような例がいくつもあって、その一つがはばかるではないか。

 さっきYさんが言ったように、もらってくれてありがとうのような、相手のすることを先取りするようなかたちで、能動が受動に、受動が能動にかわってしまう。

Y ペンを差し出して、宅急便を受け取るときとか、中動態的様相は結構あると思う。

(S 古代ギリシャ語だと、能動態と中・受動態の活用が異なる。水浴するというのが中動態というのは、私は水で自分を洗うという能動と受動を対立して表現する現在の言い方とは異なり、 水と私が、互いが互いに触れ、触れられるという中動態の様相をそのまま書き表す。中動態は衰退して、能動と受動へ分かれると言われている。これが、例の絶対矛盾的自己同一や則天去私と自己本位の問題とよく重なる。自他を区別しないアジアの古代的なありかたと、古代ギリシアの中動態がもしかしたら重なる?)

S 太宰が、わざわざ、はばかりさまという、どっちがどっちにかかるか分からないような、受動と能動が分かれないことばを探し出してきたことが、解決の糸口になるということだと思う。階級の差異を跳び越えるための解決の糸口を太宰は見いだしている。

 太宰はかなり早く、漱石はさらに早い。漱石の自由間接話法が、これと同じことをしている。相手の立場に成り代わって話したりすると、受動であるはずなのに能動で語ったりすることができる。主語が入れ替わってもよい例はたくさんある。「われ」で自分も相手も指すことができる。

Y はばかりさまの用例で検索すると、「雪江さん、はばかりさま、これを出してきて下さい」の用例が出てくる。

K 「吾輩は猫である」の雪江さんですね。

(S 細君が、寒月君が来ているので、雪江に茶をもって行かせようとしているところ。ご苦労ですがという意味だけでなく、その裏にはいろいろ狂言があって、雪江さんはすました顔で断るが、細君は恥ずかしがることはないと言っている。まるでジェーン・オースティンの一場面のように裏の心理劇がことばの一つ一つに書き込まれている。あとの方でも問題になるが、太宰は漱石を研究していたと思う。)

S 階級差があって、どうにもその差を跳び越えられないで問題になっているときに、お互いに火を貸し合うということばを発見しているというところが重要で、はばかりさまは実際にこの時期に使われていたことばだと思う。他の人から見ると、とんちんかんな逆な使い方に聞こえるが、太宰はそれを中動態として使える、そして、このことばを使えば階級差が超えられるという、そういう発見をしている。

H すごい革命的な一言。

K そういうことですね。

Y 怖い。

H 井戸端の「ワタシノ母サン」ということばも同じ役割ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰治 「作家の手帖」 1943年10月 20200503読書会テープ

【はじめに】
S 小説が発表されたのは1943年10月。作中に書かれた出来事としては、昭和12年(1937)7月7日の盧溝橋事件。発表時と作中の出来事の時間に少しずれがあるようだ。時間を整理する必要がある。

 時間の感覚が少し分かりにくい。「ことしの七夕は、例年に無く心にしみた」と冒頭で言っている今年は何年か? 

K 1937年よりあと、1943年までのうちのいつか。

S では仮に1938年とすると、そのあとに「7、8年も昔の事であるが」と谷川温泉へ行ったのは1930年か31年。これは柳条溝事件の年に、ぴったり符号する。

 そして、昭和18年=1943年頃には敗戦色が濃くなる。物も不足して、人々は内心ちょうど今の私たちのコロナの状態と同じように、いつ負けて終わるだろうと思っているのが1943年。しかし負けるとは決して言えないし、今だって私たちはコロナに負けると言えないでいる。  

 つまり、1931年満州事変を始めた時、人々が勝つつもりでいた頃と、敗戦が確実になった1943年の二つの時期の対比があり、二つの時期の間に心的なズレがあるというのが小説の背景。

 おさらいしておくと、1931年の柳条溝事件。これは日本軍の謀略だと言われている満鉄爆破事件。日本軍はやらせ満鉄爆破を口実にして満洲全土を5ヶ月で占領する。そのあと、1937年7月7日に盧溝橋事件があって、日中の全面戦争へ拡大する。さらに最後のところでアメリカの女性の話が出ているが、アメリカ参戦は1941年12月のパールハーバー

K 「ヴィヨンの妻」には、昭和19年の春に、大谷は国民服ではなく久留米絣の着流しに二重回しの姿でやって来たとあった。(S この語り手は酒屋の主人で、「対米英戦もそんなに負け戦ではなく、いや、そろそろもう負け戦になっていたのでしょうが、私たちにはそんな実体ですか、真相ですか、そんなものはわからず」とあり、一般人は昭和19年になってものんきに外出していたが、この作品の語り手は作家であり、真相をよりシビアに見ていたと推測される)

S 昭和18年になると物もなくなり、この年の本は紙が悪くてパリパリになる。

K 物がなくなるのは昭和18年よりも19年、戦後になると物がもっと不足していたのでは。戦後、本を出版するのに紙を持って行かなければならなかった。

S 物資が不足していくということがこの小説で問題になっているのではなく、もう少し象徴的な変化が昭和18年=1943年にあったのではないかということ。戦局が悪化し、負け戦へのターニングポイントになったのが1943年だろう。(1943年2月ガダルカナル撤退、5月アッツ島玉砕。国内向けの大本営発表では、撤退を「転進」と報道して、戦局を偽装した。)

S 1931年から1943年の時代背景を綿密に計算して設定しているようだ。ほんの短い小品であるのに満州事変から敗戦までのきわめて厄介な時期を総体としてあつかっている。

【少女の献身】

K 少女がつつましいと言っているのは、どういう意味なのか、何だかどこかで騙されている感じがする。読者を騙している感じがする。女に戦争の勝敗はかかっているとか、作者は時節柄こう書かざるを得なかったのか?

S それを考えるために、背景を確認して、時間が二重になっていて、戦争に勝つだろうと皆が思っていた1931年頃と、誰もが負けるだろうと思っている1943年頃、この二つの時期に、心情のズレがあるのを今確認したところです。

S 「オ星サマ」の少女の歌の時期はいつだろう?

K 谷川温泉へ行ったとき、少なくとも1938年以降。

H「ことしの七夕」と7、8年前の七夕があって、少女の歌は、「ことしの七夕」つまり1938年の歌だろう。

Y 前に見た短冊は、少女は、針の上達とか自分のことばかりしか書いていないけれど、今年の三鷹の短冊は、少女はお国のために何でもということを書いていることになる。

S そう、そういう変化がある。1931年の少女は自分のことばかりだったが、1938年の少女は国をお守り下さいという風に変化した。少女の短冊の内容が変わっている。少女が変わったのも怖いし、それを太宰がどう書いたかというのもただならぬ問題。

H そうだったのか。

Y 今年もコロナで少女たちは短冊に色々書くんだろう。

S   今だって、コロナで自粛というけれど、どこへ行くのだって自分の自由だと思う一方、自粛しないと伝染して死んじゃうから仕方ないというのもある。では、コロナ についてどういう意見ですか?

K 自分がかかるのがいや。

Y みんながかかるのがいや、こどものためとか周りの人たちのため。

H こどものためですね。

S 自分のためもあるけれど、こどもに関わるみんなのためだね。こどもは学校へ行かなければならないし、就職もしなければならない。そういうこどもの未来を含めた周りの人々にかかってほしくない。つまり、自分がかからなければいいというのと、その周囲の社会が壊れないでほしいというのと、それから国とか世界とか、この3種類がある。

 少女の短冊でいうと、自分からすぐに国家へ飛んでいて、社会のサイズのところが薄い。社会の部分が欠けていることが気になる。

K 7、8年前の慎ましく生きているというのは当時の正常なあり方で、自分の子どもの頃と同じで、それを見て太宰はほっとして、生き返った気がした?

S そうかな?