三島由紀夫「復讐」(1954年)~『東京物語』、そして『ゆきゆきて、神軍』~

夏読書会の成果を一つだけ大急ぎでまとめておきます。10月からは毎週金曜13:00から15:00に開催しています。テキストは新潮文庫『倫敦塔・幻影の盾』を順に読んでいきます。

【子供がいない家】

 この家には子供がいない。なぜ子供がいないのだろう? 老嬢(オールドミス)と表記される治子にはいわゆる「生産性」がもうすでにない。近藤虎雄・律子夫婦は30代で子供の可能性がないわけではないが夫には性的不能が暗示されているような印象がある。虎雄の母八重と、虎雄の父の妹にあたる奈津、そして奈津の娘治子の5人が暮らしている。この家族構成には奇妙に遠近感がなく、海水浴に一人で行ったのは誰だったろう?と確認しなければ分からないような混乱の印象がある。当主虎雄に嫡子が生まれていれば、すべての登場人物はこの嫡子からの距離によって計られるだろうが、近藤家には当主の継承者であるはずの嫡男がいない。

 この家族には平岡公威(三島由紀夫)の家族が髣髴する。公威の母の名は倭文重、祖母は夏子(なつ)であり、また、近藤家と同じように祖父・父ともに官僚である。不在の近藤家嫡男の位置を三島由紀夫が占めている。三島由紀夫は1925年生まれ、昭和の元号と年齢が一致する。戦前戦後を生き抜いた一つの典型的な日本の家族であった。

 帰還した虎雄は、一家皆殺しの脅迫状を毎年8年にわたって受け取った。戦時中息子に戦犯の罪をなすりつけて生き延びたと主張する倉谷玄武と名乗る男からの脅迫である。虎雄は、玄武と同郷の山口という男に玄武の動静を監視することを依頼した。その山口からある日電報が来る。玄武は死亡したという電報である。一家は胸を撫で下ろし、保存しておいた証拠の8通の手紙を電熱器で焼き捨てた。ところが治子は、「電報なんてあてになりませんわ。きっとあの電報は、生きている玄武が打たせたんです。」と言い、一家は慄然とする。

【『東京物語』との比較】

 これはいつの話だろう? 脅迫の手紙を8通受け取っているということは、戦後8年目の1953年が選ばれているのであろう。この年小津安二郎の『東京物語』が公開され、翌1954年に「キネマ旬報」一位に選ばれている。『東京物語』が描く高度成長期への転換点としての1953年の象徴性をこの小説も引き継いでいる。

 『東京物語』は、戦地から帰らない庄司を8年の間待ち続けている紀子へ、「もう庄司のことは忘れてもろうていい」という義父の許諾によって、凍結していた時が動き出し、日本社会が高度成長期へ走りはじめるという映画だった。紀子は夫のための喪に服していたとも、日本社会の人柱として服喪したとも言えるだろう。引退後の姿を完全に隠し通した原節子には、一切の説明を排する象徴性がある。

 「復讐」の近藤家も恐怖によって喪に服している。戦犯の罪を息子になすりつけたというが、近藤家の怯え方には、そのような説明では尽くせない何かもっと土俗的・原初的な怯えがある。たとえば鱸を値切って買って来て、膾にして食事に出している。よいところの祖母が市場で魚を値切るという違和感、そして黙って食事をしている虎雄は汗をかいている。その汗を妻がハンカチでぬぐってやる・・・そのとき話題は玄武の脅迫についての会話である。黙って鱸を食べている虎雄はなぜ汗を流すのだろうか?

 鱸は生贄の魚ではなかったろうか? たとえば片身を削がれてまさに食べられようとしていた鱸が弘法大師に助けられ、その地方の鱸はみな片身であるという伝承がある。虎雄が一言も言葉を発することなく、食事をしながら汗を流すのは、虎雄自身が片身の鱸だったからではないのか? 戦後の日本は、そういう鱸を安く買い叩いて、不問に付し、戦後復興へ向かったのではないのか? 食べられてしまった倉谷玄武の息子も、片身を削がれて命からがら帰還した虎雄も、それを語る言葉を持たない。

【『ゆきゆきて、神軍』との比較】

 『東京物語』では表現されなかった、積み残された問題が1953年にはある。『ゆきゆきて、神軍』(1987)の奥崎謙三が部隊の一人一人を訪ねて歩いたように、玄武は虎雄に脅迫の手紙を書き続ける。奥崎謙三は成功したのだろうか? 銃殺刑を執行するときに空砲を混ぜた複数人で撃つというのは、現代の死刑執行も同じことをしているらしい。さらに、くじ引きで食料となる人を選んだということを映画は語りはじめる。

 1954年の三島がそれを知らないはずはない。『東京物語』が何を語らなかったかを見ないはずはない。煙突の数は見る方角によって数が異なる。生きて帰らなかった人は煙突の数に隠れる。ちょうど盆踊りに混じって死者が帰ってくるように、煙突は見えたり見えなかったりする。死んだ庄司のよすがとなる煙突は、いずれは紀子の再婚相手の子供のそれに交代していくだろう。庄司が死に、祖母が死んで、次の世代がその同じ位置を占めるだろう。だから、『ゆきゆきて、神軍』のもっとも美しい場面は、奥崎の後継者であるらしい若い男の結婚式であり言祝ぎ歌である。『東京物語』と『ゆきゆきて、神軍』には次の世代が予告されている。しかし、三島由紀夫の「復讐」には子供がいない。

【小説はそれをどのように語るか】

 小説はそれをどのように語ることができるだろうか。玄武の脅迫の手紙は8年欠かさず投函されて復讐を告げた。その手紙は8年間保存される、ちょうど東京物語の紀子が8年の喪に服していたように金庫にしまわれている。ある日電報が来て、玄武の死が告げられ、証拠の手紙が即座に焼かれる。一切の脅迫は終わったと思われた。しかし治子がそんな電報は嘘だという。

 ここで何が起こっているか。手紙に書かれて焼かれることによって、その書かれていたことこそが真実である、あるいは、焼くまでして隠蔽したかった真実である、そういうふうに話は進んでいる。三島はそれに対して異議を唱える。手紙は書かれ焼かれることによって真実になった、これは戦後をはじめるための巧妙に作られた偽の証拠だ。日本社会はあの戦争の真実を、手の込んだ偽装によって隠蔽したのだと。

 治子は洋服を拵えるのが趣味だが、いっこうに似合わない。虎雄はDIYが趣味で、家のパーゴラは虎雄の手すさびらしい。器としての家や、皮膚にまとう衣服への偏愛が描かれるのはなぜだろう? 中身は焼いてしまって器だけが残されている、真実は二重三重に隠蔽されてしまったということではないのか? それを言葉によって抉り出すことはできるだろうか? 中身を失った空疎な言葉を用いて、それでも文学を書くことが戦後の三島由紀夫の使命となった。