【はじめに】
初出は2019年5月『新潮』。2020年7月に刊行された単行本『人生は驚きに充ちている』の巻頭のNovel。
物語は、作家らしき一人称の私が編集者小松へ原稿を渡すまで。テーマは心霊現象のような不思議な出来事で、日記にあらかた記しておいたのに、その日記がコンピュータの中に見当たらない、それで原稿が書けなくて困っている。本文の中程に日記が活字を変えて載せてあるので、見失われた日記は見つかって、原稿は成就したらしい。
場所は出版社の事務室、イートインのある2階建てのコンビニ、日記の中に登場するジャージャー麺とチャーハンの中華屋。
さてどこからはじめようか。
H 驚きの用例確認から行きましょう。
【驚きの用例】
H 5ページのところで、誰のタバコか分からないタバコを吸う場面、誰のか分からないけれどそのタバコに別に驚きもなかったという例。
S これ意味分からないんだけれど。
K ないはずのものでしょう?
S つまり、吸う習慣もないし、持ってるはずもないのに、タバコを咥えていたということ? そういう理解でいい? そうすると、この現実があって、どこかからタバコがふっと出てきてしまったということになるのかな。
異世界からタバコがふっと出てくるというのは、いわゆるスピリチュアリズムの常套で、口の中から何かを取り出すとか、舞台の上でそれをやってみせる。もちろんインチキなんだけれど、これと非常によく似ていて面白い。
20世紀の初めにロシアのブラヴァツキー夫人というのが心霊主義というのをはじめて世界的に大流行した。最大の見世物は、物質を異次元から取り出す舞台。
H 急に出現するものの例は、サンドイッチとかありますね。
S どこか後の方に心霊主義のような言葉も出ていた。
K 人が溶けていく例もあった。ラガーフェルド(p.28)。
S 顔が溶けると言うのも、単に溶けるのではなく、顔がこの世界から後退して、異世界へ溶け出していく感じがする。
H 二つ目の例は、9ページに原稿がまだ出来ていないと聞いてこんなに期待されているのかと驚く、あるいは、その小松の表情の変化、劇的な変容が驚きの対象になっている。
S これも顔が溶けて異世界へ行ってしまう話かな。
H 変化、変容、異変とある。
S 物質が変容するというのもブラヴァツキー夫人にあったような。
K 高速カメラで撮ったと言う話が後の方にあった。花が咲くところをカメラで撮って、それを生で見ようとすると退屈だったと(p.12)。
H あれも現実の変容ですね。
S それはベンヤミンの『複製技術時代の芸術』に由来する非常に重要な指摘で、高速カメラによって見えるようになった現実の隙間の異世界だね。
H 10ページに驚くべきことに遭遇して、2、3日して忘却していたが、また驚くべきことに、同じようなことに遭遇した。驚愕してともある。
H 12ページ、小松の前世が森の木でも驚かない。
S これは何に驚いているか分からない。
前世からの伝言とか、死んだ人がこの会場に来ているとか、この前世というのもブラヴァツキー夫人かなあ。降霊術とかこっくりさんをする。
Y オカルトとかもそれですか。あんまり神聖な感じがしない。
S この心霊主義にはコナン・ドイルとか、ルイス・キャロルとか、ウイリアム・ジェームズとか、いろいろな超有名人が関わっている。ユングも関係する。
H 三島由紀夫がある時期UFOに凝っている。
S そう今のオカルトやニューエイジやオウム真理教などの源流になっていて、心理学や宗教学などがみんなここで混合していた。
現今も大流行中だと思う、研究書もたくさん出てよく読まれている。この風潮をとりあげて、驚きに充ちているという小説のテーマにしているとすると、これはかなり面白いことになる。
H 26ページ、ラガーフェルドに似ている人が、私のあくびの音にびっくりした。
S あくびがどうしてそんなに大きな音になるのか。
H ここに書いてあるところでは、生まれてからこれまでで最大のあくびで、遠吠えのように大きな音とある。驚きの逆で退屈が出てくる?
K ラガーは犬だと思ったのじゃないの。
H 23ページにも、ラガーの連れている犬があのダルメシアンだったので驚いた。話は離れるのですが、犬と通じ合うみたいな話と最近よく読むような気がするんですが・・・町田康が『ホサナ』を書いて犬と交信できるという話だった、先回読んだ『月の客』も犬が出てくる。
S 犬に祟られている? ピピピのところの場面、よく分からないのだけれど。
Y ピピピという音が聞こえてきて、犬のことを呼んでいるのかと思い・・・
S ダルメシアンは結構大きくて、ピピという小犬の感じではないのだけれど・・・場面がちぐはぐで異様な気がする。電話している人は全く平常普通で、ピピの音を真似ている私の方が驚いているというのも変。勝手に音の真似して、勝手にダルメシアンだと言って驚いている。
Y バグった感じ?世界がバグってしまう感覚、ぐらっと歪んでしまう、その瞬間に、普通ではあり得ないことを、見てしまう。
S 世界がバグっている、そのとおりだね。
H 文章はものすごく技巧的に、そのずれが埋まるように書いている。
S 文章自体は正確にちゃんと壊れずに書いているのに、意味が壊れている、世界が壊れている。
H 読んだときには普通の文章であるのに、なんで違和感があるのかなと読んでいくと、こうも読めるし違うようにも読めるゆれを含んでいる。ものすごく上手。
S ここは特にバグが大きくて、異様な場面だった。
H 33ページ、雪の中で見覚えのあるオッサンに声をかけるところ。ここは複雑な場面で、3月4日の冒頭は「突然気がついたら荒野にいた」とあって、そういえば前に一度こういうことがあった。その出来事というのは、専門学校の講演の壇上で酒を飲んでいたら、気がついたら東北、新潟の街を歩いていて驚いた。
S これテレビのドキュメンタリーの場面の中にジャック・イン、没入してしまう話。ジャックインというのは『マトリックス』の用語。
K 東北の吹雪の光景は、NHKのドキュメンタリーで見覚えがあったとある。
S 新潟の街中という現実と、NHKのドキュメンタリーの中の風景と、その二つの間を飛び越えてつないでしまう話。その飛び越えが驚きであるというのはよく分かる。魔法のようなともある。
H 48ページ、中華屋のカレンダーが5日ではなく次の日になっていた。
S これも時間の飛び越えの驚き。
H 45ページから47までいくつか驚きがある。
S 45ページは時間、「逆回転」とか「時間が逆に進むと」とある。
H こんな急に雨になるはずがないのにとあり、時間が飛んでいる感じがある。
S 46ページは音、スヌーピーが向こうの世界から落っこちて来た音のように思えるんだけど。
Y だから誰も気づいていない。
K だから誰も片付けない。
S このクマのぬいぐるみも、ベトナム戦争の特集のページの写真の中から、こちらの世界に来る。写真とか映像というのは、ほかの世界からこの現実の中に、ものがジャックインしてくる、飛び込んでくる、そもそも、写真とはそういうものではないか? 私たちはそのことを忘れているから、安全だと思って写真を見ているけれど、実は非常に危険な驚きのあるものなのではないか?
Y わたしたちはもうすでに刺激慣れしている。
S テレビだけでなく画集や写真集は、未知の世界から得体の知れないいろいろなものが私たちの現実に落っこちてくる。それに気がついただけでもこの小説を読んだ甲斐がある。
H 異世界からジャックインしてくるというのは、鏡の向こうとか、窓の外を眺めているというのも同じですね。
S この驚きの感覚を取り戻そうとする小説。これは面白くなってきた。
Y だいぶ鈍くなってきた感性を取り戻す。
S 犬はそういう世界を出入りできるのではないかな。『吾輩は猫である』の猫も垣根の穴から出入りして情報をもたらす。
K もしかしたらサイズが問題になりますか。犬から見たり、猫から見ると、サイズが違う。
S 異世界へくぐって入るときにサイズが違うというのがある。サイズの問題はとても面白い。鼠浄土なんていう話があって、家の土間の隅に穴があって、そこにひょいと陥ると鼠の世界や蟻の世界があって、そこで一生を幸福に暮らして、帰ってくるとほんの数日しか経っていない。
H 最後の方に(p.60)、小松のサイズが違っている。トムとジェリーのように、ハンマーで叩かれて変なサイズ感になっている。
Y ひしゃげている。
S 小松は本当に踏んだり蹴ったりで、中原にぴったりくっついて原稿を待っているんだけれど、まかれてしまうんだね。私は小松をまいて逃げてジャージャー麺を食べに行ってしまう。
H 50ページ、おにぎりの種類が多い。51ページにはコンビニでスパイスガールを見たのに驚いたとある。5人組の有名な女性グループらしい。
S これ、ありえない出来事では? この人だけがそうだと思っていて、何かを見間違えているか、思い違いしている、そう思い込んでいるだけという印象がちょっとする。一種の電波系妄想。
H 一回目にコンビニに入ったとき、5人の女性のアイドルグループのポスターがあった、あれじゃないか。18ページのポスター。
S これだ、ポスターから現実に入り込んでくる話か。だいぶこれで分かってきたぞ。はっきりとした対応がある。日記をはさんで対応しているのかな。
Y あれ!スパイスガールズに会った瞬間からこの人の存在は消えているのではないかな。
S ここのアスタリスクはどうなっている?日記のあとで変質が大きくなっている?日記の後の方がバグが大きくなっている感じがする。
H アスタリスクについて言うと、アスタリスクのあるところのあとには時間の表示がある。はじめのところだと、「意を決してはじめたのに行き詰まった」という時間の変質がある。時間が断絶しているとか、途切れている。「いつの間にか終わって」とか。
S いつのまにか過ぎ去る時間というのは重要な指標。知らないうちに過ぎ去っているということは、その間に何が起こっても、何が入り込んできても不思議ではない。その隙間をアスタリスクが示している。アスタリスクのところで時間空間の落差がある。小説の冒頭がアスタリスクというのもかなり変。
H 最初から断絶がある。
H 52ページは建物が寂れて古びている。
S これも時間の経過が圧縮されている。
Y 浦島状態。
S 家もはっと気づくと30年分ぐらい古くなっているのに気づいたりする。いつのまにか経ってしまった時間。「リップヴァンウィンクル」のように、時間の落差がある。あるいは『インセプション』も同じ。
K 相手が古びているのは気づくけれど、自分も古びているのは気づかない。
Y 日記自体も誰かに植え付けられた?
S 塗り替えられた記憶の可能性もあるかも。
H 54ページには、スパイスガールに会ったというと小松の驚いた顔がある。
S その後には留守の間に急激な経年劣化のガスがまかれたとある。このあたり、心霊ムードとか心霊現象とか、金縛りとか、スピリチュアリズムのあやしい単語が並んでいる。
H 59ページ、小松が登場して、特に驚くことはない、しかし、小松が意地悪い人物に見えるので驚くという例がある。
Y 30ページのドンドンドンという音が怪しい。31ページから日記に入る。
S ええと、ポルターガイストとかラップ音?
Y 日記のところはトランス状態なんでしょうかね。
S よく分からないのだけれど、あの現象を書くためにわざわざ書いている日記。あの現象というのは多分ないのではないかな。あの現象はなくて、日記だけがあるという感じがある。日記があの現象があったというアリバイ工作になっている。嘘日記の可能性があるかな。
H 名刺を作っている女の人がいて、小松の名刺の数字が魅力的で、考古学をしていてエジプトに行って神秘体験があって、それを元にしたので数字が魅力的だとある。この場合も、神秘体験はなかったかもしれないが、名刺の数字はある。あの現象はなかったかもしれないが日記は残っているというのと似ている。
H 対話にしても、うまく繋がらない場面が多い。例えば、編集部に戻って小松と再会するところ、小松がいやな顔をしていたとあるが別にスパイスガールズが嫌いだからというわけではないのに嫌いなんですかと言う。ピピのところも場面が成り立っていない。他者がいるのに対話が成り立っていない。
日記の中で交わるという言い方がある。45ページに「視線は決して交わることはないはずだった。」ということは、交わる瞬間があったということになる。可能性を秘めている場面ではないか、ここが気になる。
S これ、相席でチャーハンとジャージャー麺を食べているけれど、まったく食い違っている例、交わらない話のような。
H 特に大きなずれがあるのは、37ページから、一度だけ行ったことのある中華屋でジャージャー麺を食べようと思って行った。ところが、「この店で私は次に来ることがあったとしても、チャーハンだけは二度と注文しないだろう」というのがちょっと変で、ズレている。
S 一度この店に来て、大半の客と同じようにチャーハンを注文した。この男と自分は同一人物か? 自分が自分に会ってしまったということ?
H なんかオーバーラップしている。向かい合って食べているような。
S 時間だけずれている。前に座っているのは、前に来てチャーハンを注文した自分で、 今自分は2度目に来ていて、チャーハンは止めてジャージャー麺を食べている。それか。異次元の自分が出会うと消滅するというのがある。この店は、過去と現在が同時に現象する。
続く