『月の客』その3

【犬について】

Y 犬がたくさん出てくるのですが、何でそんなに出てくる? 作品の中で個別に意識されていない犬が何匹も入れ替わって出てきて、何匹目かは忘れたけれど犬は主人公とずっと一緒にいて、守って、脇に寄り添っている。

S 何匹も入れ替わるということが重要かな。奥さんも4人いたり、個別性が、あるところで一般性に変わる。

 犬という生き物は、個別なんだけれど一般でもあるという特色を持っているのではないかな。同じ名前で何世代も違う犬を飼っていたりする。違うのに同じ名前で呼び続けると、同じ犬を飼い続けているようにも思える。

K 一般の犬は漢字の犬で、トシの犬はひらがなの書き分けがある(p.3)。

Y 170ページのところと、トシの最初の犬(p.30)の例がある。

H いろいろなものが混じり合っているけれど、音だと分からないが漢字とひらがなカタカナはかき分けられて区別が生じる。お母さんはカタカナしか書かないし、ラザロはどうだったか。

S ラザロは文字を学んでしまった。

H 句読点のないトシの語りから、文字によって明確になり、誰が語っているかが分かるのではないか。文字によって個別性が取り戻されるというのは、以前の山下澄人の作品でも話題になった。

S 基本それでいいと思うけれど、152ページの句読点がない文はトシの語りだと思うけれど、なぜ句読点がない? 回想? 157に入ると改行と読点が加わり目前のマッサンの描写になる。夢の中で夢を見ているような描写の時に句読点がなくなっている。

H 句読点の有無は、トシの語りの特色ではなく、回想とか夢の語りの特色だということですね。

S 句読点と書き分けについては、まだよく整理できていない。

【未来の回想】

S 例えば、大人になったらここへ来てマンホールを開けようというのは、これ半分回想だよね? 夢の中で、未来を回想している感じがする。時制が入れ子になって二重化している。子どもの頃を回想しているのだけれど、そこで大人になったらマンホールを開けに来ようという未来のことを言っている、過去なのに未来のことを言っている、これを未来の回想と呼びたい。

 これは、以前読んだ「率直に言って覚えていないのだ」の夢の中の夢の話法とよく似ている。回想なのに未来のことを述べている。

 たしかこのマンホールは作品の中で3回出てきて、最初と、最後と、もう一カ所、川縁でマンホールが出ていた。子どもの頃には手ですぐ開けられた。子どもには簡単に開けられるのに、大人は重くて開けられない。

 これは黄泉の国の入り口で、いざなみといざなぎが争って岩で塞いでしまった、それ以降、死者の国との行き来は途絶えてしまったという坂の話。この小説は、坂とマンホールが最初と最後に出てきて、トシとサナによって黄泉の国との行き来を可能にした小説ということになる。震災で死んだ人と出会うことができる小説になる。

K 黄泉の国と月の世界とはどういう関係になるのだろう?

S 天上他界と地下他界かな。月の世界は砂漠の話と関係があるようだ。

K 砂漠の話は、先回読んだ三島由紀夫が蛇になる森茉莉の話を思い出させる。

S 森茉莉の小説は『星の王子さま』に由来しているのかもしれない。蛇に噛まれて死んで自分の星に戻ることができる。あれを大人の絵本として読むというのがかなり昔から、1960年代にはすでにあった。

K 安冨歩星の王子さまについて何か書いていた。

Y 箱根にはミュージアムができている。1999年の開館。

 S 天上他界と地下他界、一方はキリスト教的、一方は日本神話で、その両方を二重に出したのは、どうしてかな。

Y より多い死者を救うため? 洞穴から子どものラザロが光り輝いて出てくる。ヨハネ福音書には、洞穴からハーイと言って出てくる。

S 日本神話だと洞穴から出てくるのは天照大神なんだけれどなあ。ラザロの絵は色々あって、洞穴から出てくるとか、棺桶から起き上がるというのが通用している。

Y 聖書の一節に洞穴というツールが出てくるらしいくらいの感じで納得する。でも、それこそ、じゃあ、この物語で、なんでこんなに洞穴というものが舞台に選ばれたんだろう?ちょっと不思議。

【トトロの森】

S それは黄泉の坂です。

K トシは黄泉の坂で暮らしていたということですか?

S そういうことです。確認すると、黄泉の坂はどこにあるかというと、大きな楠のある神社の辺にある。これが宮崎駿の世界、そう思わない?非常に大きくて、一本だけで森になるほど大きい楠。その木に登って眺めると洞穴が見つかる、特殊な場所。

Y それを聞くとトトロですね。

S 宮崎駿の世界。神社にはせむし男の番人がいて保護者としてトシとサナを守ってくれる。『千と千尋』も、入り口の番人は、主人公に厳しいけれど守ってくれるでしょ。

Y トトロにも神社があって楠がある。メイが迷い込んで、楠の根本に穴があって、そこに転がり込むとトトロがいる。

S まさしくこれはトトロの世界。

Y 気がつかなかった。川沿いも三途の川ですか。

S そもそも宮崎駿がそういう日本神話に由来した書き方をしている。このトトロの世界と月の砂漠の世界は、この小説にはめ込まれたユニットのように見える。

Y ちょっと浮いている? トシは黄泉の世界と生の世界の境界に住んでいて、大人になっても住めるということがすごい。

S 心ある大人は見える、子どもの心を失わない大人には見える、ということでしょう。大人子ども。

S トシとサナは筋向かいに住んでいた幼なじみだった。酒屋に養子へやられて、洞穴暮らし、施設に入ったり、サーカスで犬少年をしたり、マッサンのゴム工場で働いたりしていた。

K 酒屋に行ったのは、小学校に上がる前、ランドセルを用意されていたから。

S トシは白髪の老人の姿にもなっている。いつまでも子どものようでもあるし年寄りにも見えて、年齢がよく分からない。サナも16才なのに50過ぎに見えたりする。子どもで大人。

【おわりに】

S 出てくる人々がみな何かしらの欠損がある。これが震災後の世界の人間像だということになる。人間がぶっ壊れている。

Y 戦後というイメージがすごくきたのは、そういうところからだろう。見世物小屋でしか生きられない人だったり。

S それは2011年のあの震災が、あなたたちにとってそれほど強烈な印象を与えなかったということだろうか? 

Y ショックはショックだったと思うけれど・・・怖いという思いはある。

S 怖かったという思いはあっても、こういう風に、身体がねじれたり、折れたり、一種不具の感じは持てないわけですね?

 この欠損は、何かの比喩とか思想として読まざるを得ないのではないか。

Y 親が死んだとか、自分の家がなくなったとか? そういう象徴としてですか?

S あるいは自然が汚染されたとか、直接に怪我をしたり、手足を失ったりではなく、一種取り返しがつかない、失ってしまった、ぶっ壊れたんだね、ぶっ壊れたとしか言い様がない。

Y そういうダメージはなかった。東北の人たちのほうが桁違いに衝撃的なことだったろうと思います。

S 不思議なことに、地震のことは書かれているのに放射能については一切書いていない。これはどうしてだろう? この欠損はもしかして放射能の比喩になっているのでは。

K ああ、なるほど。

Y 放射能について書いてあってもよいはず。誰しもに平等に何かしらの影響があるという意味でいうと、すごくそうだと思います。戦後? 爆弾でも落ちた? そうでもないと納得がいかなかった、つじつまがあわなかった。

S  身体の欠損で一番印象がまだ残っているのは白衣の傷痍軍人だから戦後という印象が出てくる。しかし戦後ではない。

 放射能が降り注いで、あらゆる人たちが欠損している、そういう小説ではないか。

Y アイスピックの男たちの顔が崩れている(p.82)というのがある。ケロイドを思い出させる。

S 一切放射能を書かないことで、欠損の理由を読者に推測させる。『はだしのゲン』が思い出されたのも、皆同じようにお腹が膨れて血を流すというのも、つまり原爆症だから。

 キリスト教や日本神話が引っ張り出されるのはこれが世界的危機だからだろう。キリスト教でも日本神話でも救いようがないことを、山下澄人は小説で救おうとしている。

Y サナはどうしてあんなに大きくなってしまうのでしょう?

S どんどん食べて大きくなってしまう妖怪の一人では。たとえば『千と千尋』に出てくる人間が捨てた汚れやゴミで巨大に膨れ上がったオクサレ様のような妖怪=神様ではないか。オクサレ様は『ゲゲゲの鬼太郎』の土ころびから来ているみたいだけれど。

Y 山下澄人さんはそんなに宮崎駿がお好きなんですか。

S  一定年齢以上の大人は、みな宮崎駿の影響から逃れられないのでは。星の王子さまからもね。サナは、性器をあらわにして踊った天鈿女命天ではないかなあ。そうするとトシは大歳神とか。そういう日本神話も宮崎駿経由でしか入ってこなくなった。

S あとは蟻の巣を掘っていたトシのところに来て足で踏み潰した男の子がいたね。蟻にとってはトシがしたか男の子がしたか区別がつかないだろうと。トシは男の子の顔をナイフで切る。

 このエピソードからこの小説は東北大震災の比喩だなと思った。誰が加害者かを確かに指し示すことができない。東電とか政府とか誘致地方公共団体か東京都民かとか。あとになって男の子の兄がトシに向かって顔を切らせろと言ってくる。ほんとに具体的な最低限の倫理しか手元に残っていない。