『月の客』 山下澄人 2019年9月初出、2020年6月10日刊 20201114読書会テープ

【はじめに】

  1996年に初演された野田秀樹の『赤鬼』2020年版が公開されているので、最初の方だけ見ていたのだけれど、20年ぐらい前の『半神』と比較して案外だった。『半神』は萩尾望都の漫画が原作で、1886年に初演されているから、初演で言うと10年の差がある。

 台詞が短く、ことわざのようになってしまっていて、かつ、あまりよく聞こえない。抽象度の高い文章語を機関銃で頭の中に叩き込まれるような明晰な台詞はどこへいってしまったのだろう?という印象をもった。もしかしたら台詞が劣化している?

  山下澄人もまた富良野塾という演劇集団出身で演劇から小説へ移ってきた。演劇の言葉とは異なる使い方を小説で試みているようだ。同じように、台詞は短く、言葉は壊れている。しかし、これは劣化ではないだろう。では、どういう小説言語かという問いを提起しよう。

【普遍かつ特殊】

Y 私、山下澄人の他の作品をまだ触ってないので分からないんですけど、これが最新作なんですね。日本語の設定自体を、そもそも日本語が不自由な人たち、教育に恵まれなかったとか、人とコミニケーションを避けるように生きてきたような人たちが主役であるからこういう喋り方をするんだよっていうふうな感じに見えた。これが山下澄人が書ける日本語ってわけじゃないからねみたいな。

 演劇にしても小説にしても、できるだけ言葉を短く、簡単に、誰でもわかるようにっていうのは結構3 、4年くらい前から言われている流れで、それに合わせた作品。だから、フィーリングで読めばいいのかな、エモいとか。

S 出ましたフィーリング。

 もう一つの提言として、『月の客』は東北大震災の9周年、弔いの書だと思う。地震があるでしょう?

Y 東北大震災とは思わなかった、関東大震災かなと。それには理由があって、お腹が膨れて、血を吐いたり、お腹が痛いと言っていて、不衛生な状態で、その症状って何かというと、腸チフスだろうと教えてもらって、チフスは昭和の初期から戦後にかけて流行したとあるので。

S 震災は、関東大震災に特定してもよいし、震災一般として考えてもよい。

K 関西弁だから神戸大震災かと。

S そのお腹が膨れて血を吐くというのは、広島の『はだしのゲン』を思い出させないか?

Y 小学校の時に全部読んだのですが、それを読んでいたから戦後の印象があったのかも知れない。

S 食料がなくてお腹が膨れるというのは、日中戦争での兵士、あるいはもっと古典では小野小町の九相図がある。

Y 腸チフスについてですが、みんな同じようにお腹が痛いといって死んでいったので、感染症じゃないかと思ったのです。人から人へ感染した。

K 感染のわりには、ずいぶん時間が経っている。

S 感染したという風には思えなかった。それとは別に細菌という言葉が出ていて(p.139)、マッサンのゴム工場のあと。これが現今のコロナヴィールスの反映かなと。

 東北大震災9周年と私は特定したけれど、関東大震災でもあり、戦後でもあり、神戸大震災でもあり、コロナ禍でもある。普遍と一回一回の特殊が同じものとして扱われている。普遍と特殊が一致してしまうという書き方が特色だと思う。これがこの小説の書き方。

Y どの世界でも通用する、

S でも、その細部を見ると、私が経験したあの混乱。

H  震災にも戦後にも読めるというのは、この文体でないと書けない。この場面はここの話でというような棲み分けをちゃんとしない書き方、いろいろなものが同時に入ってくる。

S 普遍と特殊が一致する書き方、いろいろなものが融合している書き方。まずは時制の例。「た」と「る」は、簡単に言うと過去と現在、それが同時に使われる。

K 「た」と「る」が同時に使われているところが何度もあった。同じ事が何度も繰り返されるということでしょうか?

S それだと過去と現在が区別されて反復されていることになってしまう。そうではなくて、例えば、「ここからはじまる、はじまった」(p.4)というように、同時に「た」と「る」が使われる。

Y 並列されて、言い直されているところですね。

S 過去と現在の区別をなくする書き方。はじまると書けば、現在のことを言っていることに確定してしまう、はじまったと書けば過去のことを言っていることに確定してしまう。だから、はじまるもはじまったも区別がないから、並列して書かなければならない。過去のことは現在であり、現在のことは過去である。区別をなくす書き方。

 ほかにも、死ぬ死なないというように正反対のことを並列する書き方がある。

Y 雪の町だった、雪の町ではなかった(p.94)。思い出している過程を書いている?

S これどちらでもいい、私たちは区別して、分類してちゃんと覚えておこうとするけど、この文章は、それを区別させないように書いている。

Y どの街でもいけるように、誰の記憶にも寄り添えるように。

H だから普遍と特殊が混ざる。

S そういう書き方でしか、あのような大量の死者たちを弔うことができない。大量の名もない死者だね。誰か特定の人が死んだということを弔うなら特殊な例だけでいい。ところが非常に大量の人が死んだという場合には、それでは済まない。何か手法が要る。つまり、特殊と一般が一致しないと弔えない、書けない。

 ほかにも、ものと人が融合する書き方。例は?

Y 毛布と自分。熱が出たときには、毛布と一緒になって熱で溶けていく。

K 鏡に映ったソファー。

S 融合の例は、ほかにも、動物と人間の区別がない。

K 犬少年の犬の言葉がほかの犬にも通じている。

S 犬の骨を食べる。トシが犬の顔になる。蛇と女。

続く