清風読書会

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深沢七郎 「妖木犬山椒」その2 20200111読書会テープ

 【犬山椒】

K 毒の山椒の話で、毒の山椒が実は催眠効果しかなかったというのはどういうこと?

S 犬山椒は男山椒で、実がならない。普通の山椒は、雌木に実がなる。ところが、ここにイヌ山椒とかイネ山椒というのが出てくる。これには毒があるとも、催眠効果があるとも、稲がなるという話もあり、つまり色々な伝承がある。

 根本は音声で、イネザンショウとか、イヌザンショウという音があって、そこから色々なものが派生してくる。音声が根元にあるというのは、先月の「無妙記」と同じ深沢の根本的方法。

K イネ山椒には、竹の花が咲くような描写がある。

S イネは天皇家の植物だろう。稲山椒を媒介にして、山椒が天皇家の印になる。

K  水穂の国のイネ。

H  和歌の木立の場合と同じように、イヌやイネなど音の揺れを通して色々な物語が集まってくる。最後には毒を吸い出すとも言っている。毒と薬。

S ファルマコンだね。

H さらに、目印として立てられていた犬山椒が、簡単に植え替えられてしまうのが面白い。目印が簡単に次の犬山椒に植え替えられる。天皇に関して言えば、天皇の印が簡単に次の犬山椒に植え替えられてしまう、ここに意味がありそうだ。

S  これは、弘法大師の杖が根付いたというような伝説ではないかな。

K 水が出て井戸になったとか。

S 文化英雄としての弘法大師、桑の木とか、井戸とか、柳田國男の「杖が成長する話」にある。

S これは何の目印なんだろう。宮の居所はだいぶ遠いよね。村の入り口という意味での目印か? このあと村人にすれ違う。遠くからやってくるのは正隆だけ。村はずれの門番のような役割。正隆はかなり怪しい人物で、村中に警戒警報が走ったのではないかな。老人管理体制で、外と断絶している隔絶した村。閉鎖空間。

K この犬山椒の先が伝説の村であるということになる。そして犬山椒は三宮のところにも植えられている。

S 村の印を持ち帰る。まるで桃源郷に迷い込んだ人が印を持ち帰るように。犬山椒は、実際に三宮に会ってきたという証拠になるのではないか。報告すべき相手はもう誰もいないのだけれど。

【正隆】

H  閉鎖空間に三宮と正隆が入り、正隆は都と村を往復する人、狭間で揺れ動く人。

S 正隆に残された道は、都で四宮に乗り換えて仕えるか、村で落ちぶれた三宮にどこまでも付き従って猿同然の生活をするか、どちらかしか選択肢はない。

 正隆は心から三宮を大切に思っているように見えるが、じつは恨みが言いたいと繰り返している。何度も。

K あれはなぜ?

H あれはへんだ。

S 正隆は三宮に仕えていれば、いつかは三宮が天下をとって、日の目を見られると思ってきた。そういう非常に平凡な人。それが恨みに思うという言葉でしょう。

 正隆は、黙って口を拭って四宮に乗り換えることもできず、落ちていく三宮にも従うことができない、しょうもない人でしょう。

H だからみんな殺すということになる。

S 狂う。自分はこだちの猿の末裔であるということを受け入れられなければ、狂うしかないでしょう。だから正隆は私たち日本人である。

H そういうことか。正隆は、都で万世一系の物語を生きたかったのでしょうね。

K 正隆の家に父の死後誰もいないというのは、どういうことでしょう。

S みんな四宮に鞍替えして誰もいなくなったということ。正隆は親子二代にわたって仕えていたから、おいそれと四宮へ鞍替えすることができなかった。時流に乗れなかった。

K 正隆は、四宮に乗り換える才覚もなかった。器用な人ではなかったということですね。

S 四宮は、天皇でなくて、アメリカでもいいわけ。戦争に負けてアメリカさんに乗り換える。そうすると正隆は戦後日本人ということになる。12歳の子供と言われたでしょう? それが木立の猿の末裔であることを受け入れるかどうかということ。

 正隆は、戦後日本人の自画像ということになる。

三島由紀夫深沢七郎

S 三宮が歌を交換することが、文化的な最後の砦になっている。三宮はまだ歌を伝えていて、木立をこだちに読み替えるような歌の技法を保持している。この歌を持った三宮には可能性があるのではないか? 

 60から70年代には、戦後日本人をどう評価するかという議論があった。三島の自決がその一つの答え。猿も嫌だし、アメリカに仕えるのも嫌だから、狂うしかない。孫六とかいう刀を振り回した。これではほとんど正隆は三島そのものではないか。

 この作品はいつ出た? 1975年1月。三島の自決は1970年11月。そうなるとこの作品は、三島の自決への応答ということか?

S それならもっと何か印がないか?

H 正隆は刀を振り回しても、女子供を切る気はなかった、見当違いの方角ばかり追いかけ回しているというところ、三島にはクーデターを起こす気がなかった、三島は失敗した時のことしか考えていなかったというのと、符合しないだろうか。「その様子は手許がくるったのではなく、ただ、刀をふりまわして暴れているのだった」(p.352)

K やってみせただけ?狂言

S 正隆は、傘の稲穂を見た時から、強い幻想に入り込んでいる。この幻想に入り込んでいるのが、楯の会を作って戦争ごっこを始めたあたりに対応するかな。

S あとで狂言だの何だのと色々いわれたが、私たちはあれが何であったかいまだにわからないままでいる。深沢七郎は1975年にその三島へ応答してこの作品を書いた。きっちり落とし前をつけた。

 そういえば恨み言を言っている三島の作品がある。「などてすめろぎは人となりたまひし、、、」と、「憂国」の2・26事件の将校が、恨みを述べる。決起したのに、見捨てたと、天皇への恨みを述べる。あの恨み言、「英霊の声」だね。

 「英霊の声」が、神であるべきときに人になってしまったと恨み言を言っているように、正隆は、三宮は神であったはずなのに、地に落ちて人間をやっているということを恨んでいる。

H それで、上の句でなく、下の句をつけていたりする。神の位置から下りている。

 一旦三島を思いつくと、もう逃れられなくなる。そうとしか思えなくなる。

続く