清風読書会

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今村夏子『あひる』から、「おばあちゃんの家」 

20161202読書会テープ

【広島原爆文化圏】

N『世界の片隅で』の観客は、『君の名は』のようなオタク系とは違っていて、より政治的・現実的な関心があるひとたち。

Sご当地アニメになるの?

N呉の地名はよく出てくる。

Sそういうとき『はだしのゲン』は出てこないの?

N痛くて生々しいことは出てこない。

S『はだしのゲン』にも妹が出てくるでしょう?『世界の片隅』でも妹が出てくるでしょう?それを思うと、

N最後に原爆が落ちたあと、広島へ行って死んだ子と同じくらいの孤児を引き取り、姉さんとも関係が修復されるが、そんなに自分が死なしてしまったと悩んでいる感じではない。

S亡くしてしまった幼い子供の代わりに生き残った別の孤児を入れて関係が修復されていくというのは、「あみ子」も「あひる」も同じでは。

 『はだしのゲン』でも『火垂るの墓』でも妹が死ぬ。妹を守る兄、弟を守る姉、幼いものを守りきれなかった話が広島周辺で書かれている。広島原爆文化圏というような繋りがある。あみ子と兄がトランシーバーで繋がっていることが重要で、戦火の下で決して手を離してはいけないという話。

【家族構成】

Sみのり、弟、おばあちゃん、父、母。みのりとおばあちゃんは同じ宮永の姓だが血は繋がっていない。

Kおばあちゃんは父の父の後妻?

S厄介者のような形でインキョに居る。インキョと父母との関係が何度か変わる。

 1回目はみのりが幼稚園の頃、ガスが引かれて風呂ができて、行き来が途絶える(66頁)。

 2回目は小学校1年の秋祭りで、生後半年の弟が中耳炎、みのりは竹藪で迷い、おばあちゃんに電話をして迎えにきてもらう(81頁)。

 3回目はみのりは中学生で、一人でしゃべるおばあちゃん、これを発見したのは弟。小学校の頃洗濯物を届けるのはみのりで、中学生になるといろいろな人が届けるが、弟はインキョが臭いと言って行きたがらない。

S今は中学生だということは、みのりが小学校1年の迷子事件の頃から今までずっと、おばあちゃんは母屋に出入りしていたということ?

 誰が何歳かが詳し過ぎないか?時間に謎がないか?

 みのりが届けたおはぎを4個食べたのは中学1年。ぼけの症状が出ているという予想をみのりがしてぞわぞわする。5月の第三日曜には誕生会があった。おばあちゃんはよくしゃべるようになり、みんなが一人でしゃべるのを聴いている。

Nこれはあとの話に繋がっている。

【おばあちゃんの逆襲】

Sおばあちゃんは妖怪化している?家の中に何かが居るという感じ。「チズさん」でおばあちゃんを介護している人が、ケーキを食べたり、トイレに隠れて、妖怪のような目に見えないものになっている。家は古くなると何かが出る。

 これは何の話だろう?

K呼び出し音4回で電話を取るというのは、

Sそこに居たということ。

 妖怪話だと夜中にお櫃からご飯を食べる。

F食べ物が多く出ている。どう見ても昨日より足取りが安定しているというのは、おばあちゃんがだんだん妖怪化しているということ、若返っている?

N「チズさん」のときも、しっかり立つことが問題になった。

Sこれは何の話だろう?

K家の人が気づいていない隠し扉があるというのも怖い。勝手に出入りする隠し扉。

N台所へ向かったとあるから、食べ物に執着する?

S食事を出してもらえないというぼけ老人の異常な食欲?妖怪となってこの家を食べ尽くしてやる? おばあちゃんの逆襲?

Kトイレも使わなくなったとあり、これまで外トイレを使って遠慮していた。

Sトイレに座っていると、老人と子供が一体化した座敷童のよう。大事にしないと富が逃げる。神様になりつつあるおばあちゃん?

Fテレビを見ている人の前を横切る。

S透明なのかな? 

K小学校4年の時の孔雀の話。見えないものが見える?

Sみのりだけが見えている。みのりの年齢が詳しいことと、おばあちゃんの症状が対応している? みのりの子供時代を、おばあちゃんが身に纏っていくような。2人が交替可能なくらい近い。おばあちゃんは若返り、みのりは成長する。脱ぎ捨てた若さの殻をおばあちゃんが身に纏っているような。みのりがおばあちゃんとダブルキャストに見えてくる。孔雀が見えるのも、おばあちゃんの能力が乗り移っている? 入れ替わり、乗っ取られている? 抜け殻を纏うというのは・・・、蛇じゃあるまいし。(LE TEMPS DES GITANS、僕たちは緑の馬車に乗ったジプシーなんかじゃない、はトニオ・クレーゲルの台詞)

Kわらじは何だろう?

S「おばあちゃんの家」という題、おばあちゃんの家が乗っ取られて、それを取り返した話では?

N本当は自分のものだった?

S今村さんの話は、家を誰が継ぐかが重要な問題。このおばあちゃんは母屋を乗っ取られた。おばあちゃんは母屋に出入りする権利があるということ。

 みのりを除いて他の人は追い出されるんじゃないか? 弟の中耳炎はなぜなった? 子供が急に泣いて様子がおかしい、中耳炎は、稲の穂や何かが耳に入って炎症をおこす。妖怪がみのりを通して悪さをはじめている感じがある。(みのりは寝ている弟のほっぺたをつついてお母さんに叱られている。69頁)

Nみのりがインキョのお風呂に入って異臭がしはじめるのが気になる。おばあちゃんは髪を洗うことなどに気がつかない。(昔、ヨーロッパの旅行ガイドから、ジプシーには気をつけろ、小さな子供でも足で母親に抱きつきながらスリを働く、髪がベタベタだと。)

Kみのりに傷があってもおばあちゃんは気にしていない、そのままいびきをかいて寝ている。

【子供を産めなかったこと】

Sみのりの位置は、「あみ子」におけるあみ子、「あひる」の姉、家の中で普通ではない余計者の役割を持っている。弟は普通。

Kおばあちゃんとの連絡役?

Sおばあちゃんという半分幽霊の言葉を受け取ってしまう。気が変になる。人間と妖怪のことばが半分ずつ聞こえるあみ子のような存在になる。孔雀が見える。ものを書くというのもあみ子=今村夏子のポジション。

 この話の場合も、父母と弟は、後妻から乗っ取った家を継承していく。みのりは里の家の継承から無視された姉。そのみのりを使って、おばあちゃんが家を取り返す話。

 このおばあちゃんは後妻? 名前が家永で、「お父さんが生まれる前から」というのはどういう意味? なんでみんな亡くなっている?「子供を産んだ女の人は別にいる、会ったことがない」というのはどういう意味?

Kお父さんの父にとっては義理の母。

N後妻というより、子供を産めない人だった。

S子供が産めないから、新しい妻を迎えたのではないか。妻が二人いた状態があったかもしれない、同じ家の中に「別にいる」。

Sおばあちゃんは、新しい妻が来て子供を産むのを見ていた。後妻ではなく先妻。子供が出来ない女性は去るという定めがあったから。子供を産めなかったおばあちゃんは追い出されるはずだった。しかし行くところがないから追い出すことができなかったのでは。

 だからおばあちゃんには恨みがある。母屋に来た新しい妻と夫を見ていた。夫婦の納戸をじっと見つめていた。執念で誰よりも長生きして全部を見ていた。怖い理由はこれ。恨み辛みが凝った感じはこのせいだ。その頃からおばあちゃんは母屋に出入りしていた。「このおばあちゃんが、一体何を考えているかなんて、みのりは考えたこともない」(75頁)

Nなんでこんな話を書くんでしょう?

Kお父さんの親が本宅を取って、この人は除けられたわけですね。三代ぐらい離れればたいてい寄せてくれれば孫を可愛がるものではないのか。

S三代書かないと家を乗っ取られたことが見えないからではないか。

Sみのりが一番取り付きやすかった。みのりだけがこの家で余分な存在。「あひる」と同じように家を継ぐのは弟。

N次の話と繋がっている。

【墓を作ること】

S家を継ぐのは弟。あみ子は、生まれたのは女の子であるのに弟の墓にしていた。あのことと関わるのでは?家の継承の問題がある。あみ子の作った墓によって、新しい母親は自分の欲望に気づいてしまった。あみ子は、母の隠された意図を顕在化してしまったということ。新しい母が男の子を産むというのは、この家を乗っ取ることにほかならないから。新しい母は自分の中の隠れた欲望をあみ子によって見せつけられたことによって鬱病になった。

 だから新しい母の死産は、お墓を作って喜ぶべきこと。実際あみ子の予想(母は離婚される)とは違って、自分たちが追い出された。兄は家を出、あみ子はおばあちゃんの家へ。

 私たちはあみ子の弟の墓を牧歌的に考えたけれど。新しいお母さんに子供が生まれるとどういうことになるか、この話に重ねていえば、あみ子を通して、子供が呪い殺されたことになる。牧歌的な話と悪意とが対になっている。あみ子もみのりも、悪意バージョンと善意バージョンがあわさっている。

K深沢七郎的。

Sわらじ、靴下、雑巾など、子供を産めなかった妻は家の雑用掛かりになるしかない。そうして新しい妻が子供を産むのをじっと見ていた。(「子供の乳母か、まま炊きか、隠居なりともなりましょう」、「女房のふところには鬼が住むか蛇が住むか」心中天網島

S三度三度食事をもっていくのも神様を祀るような。

K「お供え」のような。

【「あみ子」再び、20161224追記】
Sあみ子の存在そのものが小説と同じことをしている。あみ子のしていることが、解読を必要とする小説である。
H僕たちが読書会で読み解かないといけないということですね。
Sなぜあみ子が弟の墓を作ったかを考えると、厄介な触れたくない問題が出てきてしまう。そういうものをあみ子は映し出す。小説家はそれを顕わにする。だからお母さんはショックだった。
Hよく分かります。母はあみ子の小説を読まされたんだ。
S自分の隠れた欲望、隠れた暴力性、それ以外に母がショックを受けるはずはない。
H僕たちも「こちらあみ子」を読んで、お母さんと同じようにショックを受けて、なぜショックなのかを考えて、自身の暴力性に気がつかなければならない。
Sそうしたら鬱病になる。
H「あみ子」をただ変わった子の小説と言ってしまったら、あみ子を追い出した家と同じことをすることになる。自分自身の暴力性に気づいた上で、その先を考えなければならないのに。
Sそういう自身の暴力性に気づかなければ「あみ子」を読んだことにならない。私たちは知らないうちにあらゆるところでその暴力性を反復している。