清風読書会

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中原昌也 「真弓、キミが見せてくれた夢」(2016)その2

【いくつか確認】【枠を飛び越える】

【名もなき孤児たちの墓】

HN南海キャンディーズ(p.210)とかポパイとか、このへん実在する名が混じっている。

S微熱少女とか、

H事実っぽく、新聞記事っぽく書いてある。これも核心に近付いていく感じ。

S新聞記事は毎日繰り返し、しかし起きる出来事は異なると漱石は言った。しかし21世紀になると、起きる出来事もほとんど同じ。出来事とフィクションとの違いを示すのが新聞の役割だったが、21世紀になると、雑木林から雑木林のように区別がつかなくなった。

H事件は違うし、SとM子など当事者は違うのに、よく似た同じ事件にしか見えない。

Sどうして柴田のり子だけ名前があるのだろう?芸名=ラベルが次々乗り換えられていくということか。この新聞記事らしく書いてあるあたりは事実と虚構の区別がつかない。

H区別がつかないことを言うために何度も記事が書かれている。ここで事実と虚構が混ぜられている。柴田のり子という名前があってさえ区別がつかなくなる。名前もあてにならないということか。

S真弓のまわりで人が失踪している。住居の床下に死骸が隠されている。何人も都会の隅で消えている行方不明者が埋められている。

Hいつの間にか入れ替わられて、住宅の下に埋められている。芸能界から人が消えるのと同じように、失踪者となって埋められているのが名もなき孤児たち。この小説そのものが、名もなき孤児たちの墓となる。

S『名もなき孤児たち』の「ドキュメント授乳」は、真弓の子育て本と重なる。母親が子供に乳を飲ませるドキュメンタリーで、どこか繋がっている。

H子供も繰り返し、再生産。

S敷石の上に並べられてダンプが潰していく。次々子供を産んで、ロボットのように育てて、役が終われば踏みつぶされていく。社会の再生産なんだと思う。

Hどういう教育をするかマニュアルによって人格も揃えて育て、いらなくなると床下に捨てられたりダンプに踏みつぶされたりする。人間牧場、人間工場。

【指輪】

H指輪は「夢で罵られる」にも同じシーンがあった。完全に寝ている状態、陶酔、現実界の死に近い体験だった。

S醒めるのは、花瓶が割れる、催眠術から醒めるときのパン。

 死の体験(精神分析的体験)だとしても、醒めるときに、ここではない今ではないものを得て醒めるのではないか?真弓が将来書く本の片鱗を「チラリと垣間見たような気がした」(p.203)とある。ジェームズの辺縁は、新しいものや未知のもの未来が入ってくる場所。未来の可能性を拾ってきて醒めることが重要では。

H自分が形成されたトラウマとか傷の中に入っていって未来の自分を拾ってくる。太宰治の「清貧譚」のように、隣家との壁にあいた破れ穴から何かを得てくるやりかた。

N醒めるときに馬の嘶きも聴こえてくる。耳も聴こえてくる。

Hもう一回指輪が光りはじめて、二回繰り返されるのはなぜだろう?

Sこの辺になるとぼんやりしてくる。

N二回目はさっきの未来が見えるとも違うものが見えている感じ。今度は自分の身体が動かない、まわりの給仕達は動いている。

Sマジックミラーの向う側のような反転した世界に行ってしまうようだ。つまり、真弓が実際には生きなかった違う可能性の世界が見えている。ありえなかった違う未来が見えている。「まだ産まれてきていない、未来の真弓の子どもたちであったなら」(p.208)とあるから、真弓は子どもを産まなかったのでは? 

 二度目の光から醒める瞬間が書かれていない。

N二回目の光から醒めたあと、今度は過去の話になっている?

H一回目には予兆があって、実際に悪いことが起きた。二回目は過去のことになっている?

S「かつての真弓の取り巻き」(p.208)以下は過去、しかし、この過去は暴かれない過去ではないか。誰も知りえない隠されたままの過去。

H二回目は、知り得ない過去が見えた。

S死骸は誰も知らない床下に、これ先日実際にあったね。

 浮かんでこない暴かれない、忘れ去られた事件ではないか。ブライアン・デ・パルマの『ブラックダリヤ』(2006)という映画がある。都会にやって来た女優志望のビデオだけが残っていて、行方不明の失踪者となっている。