清風読書会

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夏目漱石「一夜」(1905) 20181208読書会

【はじめに】

 「一夜」は1905年9月の「中央公論」に発表、翌年刊行の『漾虚集』に収録されました。漾は漂うという意味で、水が漂うようにゆらゆら、ぼやぼやしている境界領域を描いた作品集という意味だと思われます。

『我が輩は猫である』には、「一夜」のことが次のように言及されています。

「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日の詩界とは見違えるほど発達しておりますから。この頃の詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。訓義は学究のやる事で私共の方ではと構いません。せんだっても私の友人で送籍と云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧として取りめがつかないので、当人に逢ってと主意のあるところをして見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡に送籍君を打ち留めた(青空文庫)。 

【形と性格】
S 「美しき多くの人の、美しき多くの夢を…」という詩を作ろうとしている髭の男と、丸顔の男、一人の女がいる。
 隣家に人が出入りしているらしい声が聞こえる。一回めの隣家の音と二回めの音がある。一回めの物音から、隣家も三人らしく、琴と尺八を合わせている。三人は人並みという評価をする。二回めは琴を弾いていた女が帰ったのち、また合奏が聞こえる。この評価の仕方がどこか奇妙。
K  二回目の評価もあまり良くない。蜜を含んで針を吹くとか。
S  「あれは画じゃない、活きている」というのは、どういうことか? 「あれを平面につづめれば矢張り画だ」とも言っている。隣家が生きているとしたら、こちらの三人は画だと考えてよいか? そうならないか?
 「女は緋と賤む如く答える」とあり、隣家の男に対してあまり評価がよくない。自分たちの方は高級で立派だが、あいつらはあんまり大したことがない。
H  何だか上から目線で、馬鹿にしているような口ぶり。
 このあたり、一人が、もう一人がとあって、どちらの男が下した評価であるかが分からないのが気になる。
S  髭があるか、丸顔かというように二人を形でしか区別をしていない。普通は、それぞれ性格があって、その性格に基づいた発言をするはず。それなのに、どちらが言っているかわからないというのは、いわゆる性格がこの登場人物には備わっていないのではないかという疑いが起こる。
 どちらの発言か分らないようだと、一人一人の性格をまとまったものとして見ることができない。
 あるいは、「美しき多くの人の…」という詩が幾度か繰り返されるが、全く先へ進まない、完成もしない。これも不審。
H 夢の話をしようとしているが、何度か言及するが、途中のままで、それも完成しない。
S 夢の話をしながらすぐにズレて行ってしまう。
K そのあげくに、ぱたりと寝てしまう。 

ホトトギス問題】
S  もう一つ重要な話題は、ホトトギスだろう。
H  最後に寝るところでも、ホトトギスも鳴かぬとある。
S  ホトトギスはククーと鳴くのだろうか?
H  鳴かないと思う。髭の男は詩を作ろうとしている、ホトトギスは和歌に出てくる名高い鳥。詩を作ろうとしているから、ククーという声が聴こえたら、髭の男は歌に出てくるホトトギスだと判断したように見える。音の正体を男は勝手に作ってしまう。何だか逆転している。いい声だから和歌に歌われていくのに、あ、ホトトギスだと思ったから、いい声だという評価になる。ククーという音そのものを聞いて判断しているのではなく、あれはホトトギスだと思ったあとでいい声だと判断している。やっぱり逆転している。
S  うん、その通りだと思う。はじめククーと鳴く鋭き鳥として出てきて、飛んで来た鳥がホトトギスであるかどうかは分からないという書き方をしている。そして、「この髭男は杜鵑を生まれて始めて聞いたと見える」とある。これはどういうことか?
    ホトトギスはククーとは鳴かない、ククーと鳴くのは鳩、ここに飛んできたのは鳩。男は鳩もホトトギスも知らないから、詩の知識に基づいて、あれはホトトギスだと断定した。これはどう見ても誤認だろう。
M  吉本隆明の『フランシスコへ』という本のなかに「ホトトギスの会」というエッセーがあって、ホトトギスの正体が分からない、ほんとうにいるんだろうかという話になる。みんなそこではじめてホトトギスの声を聞かせてもらったという。ホトトギスというのは何の比喩なんだろうか?
H  テッペンカケタカと聞こえるのも、テッペンカケタカと聞こえると言われたら、そう聞こえるようになる。詩の知識から、現実の鳥の鳴き声をそういうように聞く。
M  惚れてはいけないとかあって、この三人はどういう関係か?
S  三人で清談をしているらしい。「一声でホトトギスだと覚る。二声で好い声だと思ふた」とあって、何でもない土鳩の声がホトトギスだと思った途端いい声だと思う。女を見て一目ですぐ惚れるのもそんなことでしょうか、というようにホトトギスは女だろう。
    ククーというのはどう聞いても鳩、それもありふれた土鳩。
H  末摘花のような。評判を先に聞いて、実際に会ってみるとというような話。
S  土鳩の声を、かの高名なホトトギスだと認定している。なぜ現実の鳥を問題にしないで誤認するのだろう? 詩を作る、画を描く、縫取り刺繍をする。この三人は風流な人たちで、いろいろなものを馬鹿にしている。この三人にとって現実はどうでもいいことのようだ。隣家の合奏も、土鳩の鳴き声もどうでもよい現実。

 惚れるということの秘密もここにある。
    現実はどうでもよく、経験の積み重ねのない人たち。鳩とホトトギスの区別ができない人たち。私の考えでは、この三人は絵の中の人物で、絵の中に閉じ込められているから、経験が限られている。経験・知識を積み重ねることができない。
H  怪しすぎる人たち。
S  隣家の様子が聞こえてくる。その評価が上から目線、「あれは画じゃない生きている」というのもこの三人が画の中の人物である証拠。
H  外の世界について、藤紫や緋や黄色・茶色など色で評価していくのも画に特徴的な評価の仕方。 

【音の話】
M  何で音にこだわるのでしょう? 漱石は音にこだわりがある?
S   絵の人物だから、視界が限られていて情報は耳をとおしてしか入ってこないから、音の話になる。「変な音」も変わった話で、隣室が見えないから、隣室の音の原因を色々想像する。
K  大根おろしの音だった。
S 「そのまま、そのまま、そのままが名画じゃ」というのも、この三人が絵の人物であることを示す証拠では。あるいは、こう湿気てはたまらんとあるのも、自分たちが紙に描かれているから、湿気が駄目だからでしょう。それから香りがある。香りも画の外と内を透過する。香炉の描写もいかにも画に描かれた香炉を文章で精密に描写している感じがする。

    蜘蛛の話はどうでしょう。
H 「蜘蛛の糸」の話を思い出す。違う世界を結ぶ。
S  この漢文二行は、自分たちが描かれている画の上部に書き込まれた賛ではないか。
H 「私も画になりましょう」と言って、寝る前にも画の話題になっている。「今度からは、こちが画になりましょ」ともある。
S  これも絵に戻るというのが、すなわち寝るということではない?
 寝ると、いろいろなことをみんな忘れてしまって、また明日は、同じような会話をはじめから言い出すのではないかな。歴史がない、時間がない。
H  翌日また「美しき人の…」とおなじように言い出す。これが「一夜」という小説。
S  上から目線は、自分たちが芸術品だから。現世の隣家の音楽など俗っぽい現世に過ぎないから。現実のホトトギスなど何の意味もない。

【小説と絵画】
M「人生を書いたのであって、小説を書いたのではない」とはどういう意味でしょう。
H  この小説に対する評価を述べて、入れ子の枠がついている。
S  三人の外からの視点で、評価を述べる。髭の男は杜鵑を知らないと言った視点と同じ。一夜=生涯だということは、一枚の画は、一瞬が永遠であるという切り取り方をする。寝て起きて全部忘れて歴史がない、時間がない、性格も形でしかない、涼しい眼というのも形。そして一貫した事件は展開しない。

    一方で、小説はその中で一貫した事件を語る、ある一定の時間経過をもつ芸術形式。画と小説の形式の違いを述べた。
H  小説ではなく一枚の画を描いたということを説明しているように読める。
M  一夜は何時頃まででしょう?
S   夜半が0時前後で、更待月(ふけまちづき)は夜半過ぎまで待って出る月のこと。
M  河原温という画家がいて、絵に日付を書き入れる。日付絵画、絵を描いた日付を入れる。当日0時までに終える、その土地の言語で書くなどの規則がある。自分が生きている時間と絵とが連動している。時間と文字と色を塗る行為が連動する。
S それ、写真と非常に近い。絵は基本的に時間がないメディアで、それに時間を導入したところが河原温のあたらしさになるんじゃないか。
    一方、小説は時間芸術。だから一回めと二回めがほとんど変わらないというのが小説としては非常に異例なことで変。進まない変化しないというのが、この話が絵の中の人物についての小説であると私が考えるもっとも大きな根拠。寝ている間と昼間の出来事を繋いで語ったら小説になるだろう、その間の因果関係を説明したら小説になるだろう。
    寝たら全部忘れてしまうとあるように、性格もない時間経過もない画のような小説を試みた。

【蟻と蜘蛛】
S  蟻のところもすごく変。蟻の夢が覚めるとどうなる? 「画から女が抜け出るより、あなたが画になる方が、やさしうござんしょ」という言い方をしている。同じように蟻も葛餅になると。 蝶が私の夢を見ているのか、私が蝶の夢を見ているのかという荘子のことか。その間を説明して繋げると小説になり、関係付けないのが画だろう。

    蟻の夢が葛餅というのは、蟻と葛餅を関係付けないで、二つを投げ出したままの表現では?
M  蟻が葛餅の夢を見るのですか? 人生はほんとうは関係付けられない。蝶と私を関係づけるというのは一種の幻想ですね。
S  小説は成長して変化するということを教えてくれる。画は時間ではなく空間を教えてくれる。空間は永遠。
H  自分たちも画になってしまうというのと、蟻が葛餅になるというのは同じことを言っている。
S  蟻がうろうろしているのを三人が見ている。「蟻も葛餅にさえなれば…」というのは、蟻の夢は葛餅?抜け出るか抜け出ぬか、画から抜け出るということ?

    え、もしかしたら、この蟻も画の外から画の上を這っているということ?  蟻も絵の上から出て行けば、この菓子鉢のぐらぐら揺れるのから逃れられるということ。やっぱり、絵の上を三匹の蟻が這っている感じがする。
    鳥の声がする、湿気が外から紙を湿らせる、蟻が這ってくる、蜘蛛も下がってくるという画とその周りの世界との接点を書いている?
    葛餅は画に描かれていて、生きている現実の蟻は画の中の葛餅を食べられない。現実の蟻と画の中の葛餅が二重写しになっている。その関係は、蟻が葛餅の夢を見ているだけで食べられないということか?

【おわりに】
S  画に描かれた三人の男女の一夜の清談というのが結論。
H  小説には時間があるが、画には時間がない。男は夢の話をしようとしているが、春の夢の話がどうしてもできないのは、画の季節が夏で、夏の話しかできないからでは。
S  春という言葉だけで、絵の中では時間を進めることができない。1907年のピカソの「アビニョンの娘たち」がキュビズムのはじまりで、絵画に時間を導入した。
H 絵画では音を描けない、音を描こうとすると色に変換して描く。色の描写が多いのはそのせいだ。
S  3次元を2次元に縮約するのが絵画。
H  縫取りというのもそうか。糸は3次元だけれども、画に縫取りすると2次元になる。

 

 

スカイプ読書会の予定(12月変更あり)

スカイプ読書会(毎月第4土曜15:00~17:00)

12月8日土曜 臨時追加 漱石 「一夜」「趣味の遺伝」 

12月22日土曜 三島由紀夫「雛の宿」と「花火」(文豪怪談傑作選三島由紀夫集 ちくま文庫 880円)

1月26日土曜 太宰治 「新樹の言葉」「親友交歓」『30代作家が選ぶ太宰治講談社

2月23日土曜 大江健三郎「飼育」(「死者の奢り・飼育」、新潮文庫

3月23日土曜 山下澄人 『ぎっちょん』河出文庫

深沢七郎「笛吹川」その2 20181124 15:00ー17:00

 

【生まれかわり】

S どうしてこれほど生まれかわりが多いのだろう? 日付が一致するとか白目を剥いたとか、ありとあらゆるこじつけによって、武士と農民、僧侶などの階層を一気に飛び越える。捨て子も飛び越えの手段になっている。

M タツは娘のノブに執着して、殺されたノブの死骸から赤児を取り上げて寺へ捨てる。その描写が凄惨で、タツはやばい人になっている。

S タツの執着は、近代人としてよく分かる。

K おけいは娘のウメに執着していて、惣蔵が、幼い我が子久藏とヤヨイを殺してしまうのに、孫に当たる二人を助けようとしていない。

S 一族とか血筋の考えが否定されているのではないかな。おじいの子孫も、武田家とおなじように一切すべて途絶えてしまう。意識されているのは、目の前に見えている親と子供三代だけ。こういうのをどう言えばいいか。当代至上主義、当代功利主義

おけいは惣蔵の子供を連れ帰る気がない、血筋という考えがないのだと考えなければならない。

「先祖代々お屋形様のお世話になり」というのは武士になってしまった惣蔵の言葉で、定平はびっくりする。武士と庶民の差として血筋がある。

 

【場所を生きる人々】

H タイミングが似ているとその人のことになってしまう。たとえば、ボコが出来て流産した女の噂話のなかで、タイミングが似ているとすぐにおけいの話になってしまう。入れ替わる人々。ぎっちょん籠は、差別された人々か。

S  川べりに住む人々は被差別民。

K 結婚は自由に交流しているようであるが?

S ブドウの種とあるけれど、甲州ブドウが名産になるのは江戸時代に入ってからだろう。現金収入があると階層分化が進む。時代は16世紀川中島合戦の頃だから、江戸時代より前、身分制度が定まる前の比較的自由を希望できる時代に設定されているのでは。ここに「笛吹川」が時代小説で書かれた理由がある。

M 郷土の英雄武田信玄の最期を書いてしまっているが、深沢七郎が自分の故郷を書くのは難しいことでは。

S 信玄が昇り龍の勢いで信州を平定し、そして鵯越の逆落しのように転落していくのが武田の一族。負けて落ちていく武将の話には、つい見捨てられないような共感がある。「さざなみ軍記」とか、「平家物語」も。

M 彫刻のようなものが権威の印になるというのは一般的に言えること。topofilのようなプロジェクトがある。例えば矢印形のネオン管を長崎の爆心地に置く。彫刻をそこに置くことによって「場所」が変化する。この小説だと、善光寺の本尊を強引に持ってきてしまうことがとても気にかかる。

S そうか、前世紀末にレーニン像を引きおろすことがあった。慰安婦像も彫刻が焦点になって問題が活性化する。

H ノオテンキの人は武士になっていいとしても、そうでない人は巻き込まれていく。止めに行って巻き込まれて一緒に死んでしまう。武士の中にはいって行くと、いつのまにか武士のように考えはじめる。

ぎっちょん籠には定平しか残らなかった。人は死んでいくが籠は残って籠が主語になる?

S 籠や城や寺が主語になるというのは、いい考えではないな。城に入ったら城の考えになり、寺に入ったら寺の考えになるというのは、まったくいやな考えだ。面白くない。

M 郷に入れば郷に従え...

K あれはローマの諺らしい。

S 場所の思想というのは西田幾多郎の後期の思想で、日本ファッシズムを基礎付けた、猛烈に危険さね。

【水害共産制】

H それでは希望はどこにあるのか?

S  定平は、あのあとどうなっていくだろう? 米を炊いでいるところに、おけいが一人で帰って来ても、もう「生産性」がないから子供は生まれない。ぎっちょん籠はまた誰かが住み着くんではないかな。そして住み着くのは誰であってもよい。

また水が出るということが話題になっている。水が出て一切が流されて土手も道筋も変わってしまう。そのあと一切平等。これがアジア的原始共産制ではないのかな。毎年毎年流されて、一切平等にまた無一物からはじめる水害共産制。

畑の土を流されてしまった婆さんが次の水害を待っている。これが定平の最後の会話になっている。笛吹川の水害共産制を書いた徹底的な革命小説。

 

 

 

 

 

 

 

 

深沢七郎「笛吹川」 20181124 15:00ー17:00 スカイプ読書会

【レジメ】

笛吹川』(1958年、新潮社、書下ろし単行本)

1、登場人物

【石和村】

おじい──娘      ミツ──キヨ/定平(信玄と同年生)──惣蔵──久蔵/ヤヨイ

     |──────|平蔵16歳  メッキのおけい       安蔵/平吉

     半平(婿)  タケ黒駒へ

            ヒサ八代へ──虎吉(勝頼と同年生) 

 

  坪井大尽

  竹野原 ミツの嫁ぎ先

       鶴やん 貧しい家

  茂平やん 馬鹿力25歳

  川田 オキムラ 後産・死骸・八房の梅の木

  近津のまがり家 一人息子の勝やん 酒飲みで乱暴者

  八代双子塚 智識三代

  ワカサレの源やん 三代親を追い出した ──孝助

甲府

山口屋 ミツ29歳の再婚先の絹問屋──タツ──ノブ(勝頼と同年)──次郎

土屋  平蔵の主人、勝千代を養育

鎮目 アヅマヤ タツが身を寄せる。

武田信縄──男死亡/信虎/弟死亡──勝千代晴信信玄19代──  勝頼20代

                                                                                               お聖道様

武田の歴史(17代1471-1507)(18代1494-1574)(19代1521-1573)(20代1546-1582)

【その他の地方】

駿河 富士山

2、各章の内容

一 人物の登場とおじいの予言。

二 珍しい八房の梅の木を、富士参りの帰りに平蔵がもたらす。ミツ山口屋再婚。土屋半蔵となり、武田晴信に仕え死亡。晴信京都から任官。定平、メッキのおけいと結婚。

三 半平病死、近津のまがり家で馬が赤子を生んだ。武田晴信へ代替わり。滝田川の名について。

四 武田・上杉 川中島の戦い(1553-1564)。定平はオンマ宿をするようになった。おけいの子どもは、八代の智識の生まれ変わり。

五 勝やん、善光寺の本尊を持ち帰る。晴信信玄を名乗る。山口屋消失。タツ焼け残り、復讐を誓って隠れ住む。おけい安蔵を生む。子守歌。タケ・ヒサ死亡。

六 善光寺落成、ぼや騒ぎ。虎吉、上杉謙信を見る。おけい平吉を生む。ノブは屋形様へ奉公に連れて行かれたが、村の男の子を孕んでいて屋形から逃げ出す。タツは殺されたノブから赤子(次郎)を取り去り塩山の寺に捨てる。

七 蛍。おけいウメを産む。八房の梅を惣蔵持ち帰る。タツは土手の気狂と呼ばれてぎっちょん籠の側に住む。おけい・定平はオヤテットに出るようになった。ノオテンキの血筋のためか、惣蔵は戦へ行き、虎吉(大隅の守)の手下となり土屋惣蔵を名乗る。

八 平吉もいくさに行ってしまうことを恐れて、ウメと次郎を娶せようとするが、虎吉がウメを屋形へ連れて行く。平吉は惣蔵の誘いにのらず家に留まった。

九 屋形様は落ちていく。惣蔵は先祖代々お屋形様のお世話になってと言い出し、定平はびっくりする。平吉と安蔵はお聖道様の元へ行き、ウメは屋形様と一緒に落ちていく。おけい、ウメ、惣蔵の妻子を取り戻そうとする。お聖道様の最期、恵林寺焼失。タツは次郎を探して寺へ行き死亡。おけいも平吉も誰も帰ってこないぎっちょん籠で、定平が米を研いでいる。

3、討論のための問い

1、 ぎっちょんとはどういう意味か。

2、生まれ変わりとは? キヨは鶴やんの娘へ生まれ変わり。定平は勝千代と同時誕生。ミツは信虎と同年生まれ。晴信誕生のときおじいが血を流して殺された、白い目を剥いたなど、符合を語るのはなぜか。

3、笛吹川の水が出るとは? 三寸流れれば、お水神様が清める(9)

4、ブドウの実とは。

5、勝やんはなぜ善光寺の本尊を持ってきたのか?

6、オヤテットといくさの互換性。

7、ボコという女の手段と、いくさという男の手段の対比。

 

 

 

 

    

三島由紀夫「復讐」(1954年) 20180928読書会

【子供がいない家】

 この家には子供がいない。なぜ子供がいないのだろう? 老嬢(オールドミス)と表記される治子にはいわゆる「生産性」がもうすでにない。近藤虎雄・律子夫婦は30代で子供の可能性がないわけではないが夫には性的不能が暗示されているような印象がある。虎雄の母八重と、虎雄の父の妹にあたる奈津、そして奈津の娘治子の5人が暮らしている。この家族構成には奇妙に遠近感がなく、海水浴に一人で行ったのは誰だったろう?と確認しなければ分からないような混乱の印象がある。当主虎雄に嫡子が生まれていれば、すべての登場人物はこの嫡子からの距離によって計られるだろうが、近藤家には当主の継承者であるはずの嫡男がいない。

 この家族には平岡公威(三島由紀夫)の家族が髣髴する。公威の母の名は倭文重、祖母は夏子(なつ)であり、また、近藤家と同じように祖父・父ともに官僚である。不在の近藤家嫡男の位置を三島由紀夫が占めている。三島由紀夫は1925年生まれ、昭和の元号と年齢が一致する。戦前戦後を生き抜いた一つの典型的な日本の家族であった。

 帰還した虎雄は、一家皆殺しの脅迫状を毎年8年にわたって受け取った。戦時中息子に戦犯の罪をなすりつけて生き延びたと主張する倉谷玄武と名乗る男からの脅迫である。虎雄は、玄武と同郷の山口という男に玄武の動静を監視することを依頼した。その山口からある日電報が来る。玄武は死亡したという電報である。一家は胸を撫で下ろし、保存しておいた証拠の8通の手紙を電熱器で焼き捨てた。ところが治子は、「電報なんてあてになりませんわ。きっとあの電報は、生きている玄武が打たせたんです。」と言い、一家は慄然とする。

【『東京物語』との比較】

 これはいつの話だろう? 脅迫の手紙を8通受け取っているということは、戦後8年目の1953年が選ばれているのであろう。この年小津安二郎の『東京物語』が公開され、翌1954年に「キネマ旬報」一位に選ばれている。『東京物語』が描く高度成長期への転換点としての1953年の象徴性をこの小説も引き継いでいる。

 『東京物語』は、戦地から帰らない庄司を8年の間待ち続けている紀子へ、「もう庄司のことは忘れてもろうていい」という義父の許諾によって、凍結していた時が動き出し、日本社会が高度成長期へ走りはじめるという映画だった。紀子は夫のための喪に服していたとも、日本社会の人柱として服喪したとも言えるだろう。引退後の姿を完全に隠し通した原節子には、一切の説明を排する象徴性がある。

 「復讐」の近藤家も恐怖によって喪に服している。戦犯の罪を息子になすりつけたというが、近藤家の怯え方には、そのような説明では尽くせない何かもっと土俗的・原初的な怯えがある。たとえば鱸を値切って買って来て、膾にして食事に出している。よいところの祖母が市場で魚を値切るという違和感、そして黙って食事をしている虎雄は汗をかいている。その汗を妻がハンカチでぬぐってやる・・・そのとき話題は玄武の脅迫についての会話である。黙って鱸を食べている虎雄はなぜ汗を流すのだろうか?

 鱸は生贄の魚ではなかったろうか? たとえば片身を削がれてまさに食べられようとしていた鱸が弘法大師に助けられ、その地方の鱸はみな片身であるという伝承がある。虎雄が一言も言葉を発することなく、食事をしながら汗を流すのは、虎雄自身が片身の鱸だったからではないのか? 戦後の日本は、そういう鱸を安く買い叩いて、不問に付し、戦後復興へ向かったのではないのか? 食べられてしまった倉谷玄武の息子も、片身を削がれて命からがら帰還した虎雄も、それを語る言葉を持たない。

【『ゆきゆきて、神軍』との比較】

 『東京物語』では表現されなかった、積み残された問題が1953年にはある。『ゆきゆきて、神軍』(1987)の奥崎謙三が部隊の一人一人を訪ねて歩いたように、玄武は虎雄に脅迫の手紙を書き続ける。奥崎謙三は成功したのだろうか? 銃殺刑を執行するときに空砲を混ぜた複数人で撃つというのは、現代の死刑執行も同じことをしているらしい。さらに、くじ引きで食料となる人を選んだということを映画は語りはじめる。

 1954年の三島がそれを知らないはずはない。『東京物語』が何を語らなかったかを見ないはずはない。煙突の数は見る方角によって数が異なる。生きて帰らなかった人は煙突の数に隠れる。ちょうど盆踊りに混じって死者が帰ってくるように、煙突は見えたり見えなかったりする。死んだ庄司のよすがとなる煙突は、いずれは紀子の再婚相手の子供のそれに交代していくだろう。庄司が死に、祖母が死んで、次の世代がその同じ位置を占めるだろう。だから、『ゆきゆきて、神軍』のもっとも美しい場面は、奥崎の後継者であるらしい若い男の結婚式であり言祝ぎ歌である。『東京物語』と『ゆきゆきて、神軍』には次の世代が予告されている。しかし、三島由紀夫の「復讐」には子供がいない。

【小説はそれをどのように語るか】

 小説はそれをどのように語ることができるだろうか。玄武の脅迫の手紙は8年欠かさず投函されて復讐を告げた。その手紙は8年間保存される、ちょうど東京物語の紀子が8年の喪に服していたように金庫にしまわれている。ある日電報が来て、玄武の死が告げられ、証拠の手紙が即座に焼かれる。一切の脅迫は終わったと思われた。しかし治子がそんな電報は嘘だという。

 ここで何が起こっているか。手紙に書かれて焼かれることによって、その書かれていたことこそが真実である、あるいは、焼くまでして隠蔽したかった真実である、そういうふうに話は進んでいる。三島はそれに対して異議を唱える。手紙は書かれ焼かれることによって真実になった、これは戦後をはじめるための巧妙に作られた偽の証拠だ。日本社会はあの戦争の真実を、手の込んだ偽装によって隠蔽したのだと。

 治子は洋服を拵えるのが趣味だが、いっこうに似合わない。虎雄はDIYが趣味で、家のパーゴラは虎雄の手すさびらしい。器としての家や、皮膚にまとう衣服への偏愛が描かれるのはなぜだろう? 中身は焼いてしまって器だけが残されている、真実は二重三重に隠蔽されてしまったということではないのか? それを言葉によって抉り出すことはできるだろうか? 中身を失った空疎な言葉を用いて、それでも文学を書くことが戦後の三島由紀夫の使命となった。

夏読書会(変更あり)

8月13日月曜13:00から15:00開催

漱石「思い出す事など」(新潮文庫または岩波文庫)26,27,28

8月20日は29から32(最終回)→ 変更 この日は休みます。

8月27日 29から32(最終回)