7月8日日曜午後13:00より

読書会

深沢七郎笛吹川

7月8日日曜 13:00より

スカイプは音声がよく途切れるので、ZOOMを使ってみたいです。40分ごとに開催時間を区切れば無料で使えます。

参加希望者は、コメント欄(クローズですのでアドレス確認後消去します)を使って連絡を下さい。こちらからメールを差し上げます。

 

 

7月上旬にスカイプ読書会を計画中。

10月秋京都読書会を計画中。

課題図書、提案を募集中です。

 

深沢七郎 庶民列伝 笛吹川

草間彌生 心中櫻ヶ塚

太宰治 女の敵討 斜陽

山下澄人 ぎっちょん しんせかい

吉田知子

フランク・オコナー短編集

 

 

 

水曜14:40から読書会

2018年4月18日より読書会をいたします。

毎週水曜日 14:40から16:30 739研究室

テキスト 夏目漱石 「永日小品」 

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html

太宰治 『斜陽』その2

【遺書を読み換える】

A 直治の遺書の中に、正直(7)という言葉が出てくる、スガちゃんの表情と目の正直は、母以外には、スガちゃん以外一人もいなかった。それから、「ひめごと」がある。「僕に、一つ、秘密があるんです。」(7)と姉に言い、結局その秘密をひめごとにせずに、内容を姉に話してしまっている。

H 直治は「正直」(7)、母とかず子は「ひめごと」(2)と言っている。

S スガちゃんは、かず子と名が似ていないか?なんで似ているんだろう? アナグラムになっている。

 『斜陽』は全部で8章ある。かず子は4章で3通の手紙を書き、8章で最後の1通を書いている。3章には直治の夕顔日記、7章には直治の遺書があり、かず子は直治の後を追うように手紙を書いている。

  直治の遺書は、これもかず子が書いたんではないか? かず子がフィクションとして直治の遺書を書き、その遺書をテコにして上原に手紙を書く。その二つによって読者をいわば誘導していると考えてみた。

A そうすると直治の死はどうなる? 直治は自殺したのか、かず子の革命のために殺されたのか?

S 殺された可能性も出てくるか。東京へ行ってくるといって直治の自殺のきっかけを作ったのはかず子。かず子と直治は、母親の愛情を巡って争っているとも言える。勝ち残った方が愛情を得られるとしたら、直治を蹴落とすか、直治がかず子を蹴落とすかという競争になる。7章の直治と8章のかず子の文章が争っている。

 直治の遺書は、直治が書いたと考えてもいいのだけれど、直治が書いた遺書をかず子は読み換えて換骨奪胎している。直治の子供だと語ることによってかず子の処女懐胎を成就し、スガちゃんにその子を抱いてもらうことによって直治の恋も成就させている。かず子は直治の遺書を読み換えている、あるいは書き足している。

A 夕顔日記を見たのは伏線になるのですか? 

S 直治の夕顔日記と遺書とを比較せよということだろうね。どこがどう違っているか。(先のひめごと問題で、かず子はひめごとを夫にも母にも隠し通したが、直治は秘密をやすやすと語ってしまっている。ここが矛盾している。つまり、スガちゃんはかず子の創作であると推定できる。もう一点、洋画家つまり上原の評価が直治の遺書の中でだけ非常に悪い。ここが矛盾している。つまり、洋画家は、上原に会って幻滅したかず子の創作であると推定できる。)

  漱石の『こころ』も、先生と「私」の経歴がよく似ていて、先生と「私」はイコールだという説が出てきてしまう。(先生の遺書を読んだ「私」には、その遺書に対して応答する義務があると考えるなら、『こころ』を下敷きにして『斜陽』を書いた太宰は、遺書への応答にあたる部分を『斜陽』のなかに書き加える義務がある。それが8章のかず子の手紙。だから、かず子の最後の手紙は、直治の遺書への応答であると読まなければならない。)

H  8章のはじめに「ゆめ」とある。どこまでが夢なのかと考えた。手紙の文章も夢なのかもしれない。直治の遺書がフィクションかもしれないというのも、「直治の遺書」というのがこのフィクションの題名だとしたら(『こころ』は、はじめ「先生の遺書」という題であった)、全部がフィクションであるということもできるかもしれない。

S かず子は夢見る夢子ちゃんで、30過ぎのメンヘラ系で妄想女で、細田への二次元恋愛を現実の行動に移してみると、上原は性欲の塊のような老猿で、少しも素敵な恋愛ではない。かず子が現実に目覚めるのは難しいのでは。

H 「これから世間と争って行かなければ」(5)とかず子は言うが、母からあなたには無理ですと言われている。

A 二回戦、三回戦というのは、また夢を続かせるのか?

H 次の手紙を書くように、次の小説を書くということか?

S 結局かず子も小説家として書くということにならないか? 直治も小説家になろうとしていた。直治の小説を横取りするかたちで、かず子も小説を書いていくのでは。小説家は蛇のように脱皮をして生き延びる。

 かず子は母になろうとしてなれず、次に直治のようになろうとする。直治の夕顔日記を読んだ後に上原に手紙を書き、直治の遺書を読んだ後に、上原への最後の手紙を書いている。はじめに直治を真似して上原の本を読んで、直治と同じように上原を尊敬しはじめる。誰かを映し出して成り代わっていく。

A かず子の根幹が分からない。上原は小説家として生きようとし、直治は何とかして貴族を脱しようとし、母は最後まで貴族として生きようとする。かず子だけは根幹が分からない。

H 入れ物のように何でも取り入れていく。

A 戦後の日本は、民主主義をすぐ取り入れたり、教育でも、いろいろなものを引っ張ってくる。

S かず子の根幹はない。外を移し、入れ物として、何でも物まねする日本人そのもの? かず子は戦後日本人か。スガちゃんもプロフィール、輪郭しかない。

A スガちゃんのヒューマニティに打たれたとあるが、ヒューマニティの中身は一切書いていない。

S 真似をするというのは、直治がいやだと言っているみんな同じという思想の原理。かず子はずっとその真似をしながら、蛇の卵を焼いて生殖ではなく、蛇の脱皮として再生していくと言い換えた。それがかず子の革命になる。

 

【おわりに】

S ゆめ(8)や、恋(1)、戦闘開始(6)などが何を意味するか分からないまま投げ出されているので、また、ですます調の文章によって時制が分からずすべてが現在に召喚されているので、読者は、妄想か現実かを区別し、出来事を構築しながら読む必要がある。

『斜陽』の姉弟は、萩尾望都の『ポーの一族』そのもの。ポーの一族とは吸血鬼の一族で、両親の死後、兄と妹が残る。二人は決して年をとらず、蛇の脱皮のように生殖なしに再生してゆく。ポーの一族とは、物書きの一族でもある。

『斜陽』は、漱石の『こころ』の書き換えであり、聖書の書き換えでもある。太田静子の『斜陽日記』の書き換えでももちろんある。

H マフラーを編み直す、とか、母の麻の着物を縫い直すのは、蛇の脱皮と同じ。血によって再生せずに、脱皮によって再生し、編み直し、縫い直すのが小説である。

 

太宰治 『斜陽』(読書会テープ 2017年12月28日)

【はじめに】

 「斜陽」の冒頭はスウプと蛇の話。スウプを「いただく」のは誰か? スウプを「いただく」という敬語は誤用か? 

 かず子は母になりたかった、かず子は母に重なろうとしてきた。「私は支那間の硝子戸越しに、朝の伊豆の海をめ、いつまでもお母さまのうしろに立っていて、おしまいにはお母さまのしずかな呼吸と私の呼吸がぴったり合ってしまった。」(2)

 かず子が母と重なろうとしてきたとすれば、スウプをいただくは誤用ではなく、母に成り代わったかず子の自由間接話法として読めるだろう。はじめ、かず子は母と同じになろうとしていたが、母と同じにはなれないことに気づく、ここから「斜陽」がはじまる。

【恋と革命】

A かず子は、ついに子供を手に入れて踏み切ったが、直治はそこまでできなかった、でもそういう思いを前から持っていた。

S 直治は姉と競争していた?

A 直治は姉のような道を進みたかった。

S どこへ行くかと問われたときに、「革命家になる」(5)とかず子が言い、直治は「え?」と予想外だった、また、直治の遺書でも、姉さんは結婚して夫にすがって生きて行くだろうと言っていた。

 姉と直治を比較して、直治は姉が羨ましかったというのは、読者の視点から見たときではないかな。

H 行動的には、姉が直治の後を追っていった。本を読み、上原と酒を飲む。

S かず子は直治の後追いをしている、ほとんどすべて直治のしたことをなぞっている。上原との結びつきを恋と言っているが、情交は屈辱。上原ははじめ「奇獣」、6年後に再会した時には「一匹の老猿」で、これが革命かというくらいみすぼらしい。

H 結ばれた時に「すでに恋は消えていた」とある。

S これは、どういう話として読んだ?

A 姉は新しい次の世代を作って戦後を生きていく話。他の登場人物は皆死んでしまっている。

S そうすると、革命の中身は子供を作ること一点にかかってくる。

H どういう経緯で子供ができるかより、マリアの子であることが…

S 子供に父親はいらないんじゃない? マリアと同じで父親は要らない。母親もピエタになぞらえられている。無原罪の懐妊、男なしに子供を作る、マリアがキリストを産むように子を産むのがかず子の革命だと思う。貴族も庶民も血筋で繋がっていくが、神様からもらった子供を授かるという意味で革命になる。真の革命は神の子を身ごもること。

 私は処女懐胎の話として読んだ。日本の天皇家も貴族の一族も血筋によって呪縛されている、それに対して革命になるとしたら、マリアが無原罪の懐妊をしたというキリスト教の秘儀はそれに対抗できるのではないかな。イニシアルMCはだからマイクリスト。

H  MCは、チェーホフ、チャイルド、コメディアンというように中身がどんどん変わっていく、キリストがおおもとにあるというより、中身が変わって行くことが重要では。

S マリアの処女懐胎キリスト教の秘儀、ひめごとであり最大の謎。だから原型であり、何にも入れ替えができる入れ物になっている。『こころ』のイニシアルや渾名と一緒で、先生=私になる入れ物を提出することが重要。

A 一夜を共にしたあと、「私のひと。私の虹」(6)など上原のことを呼んでいるのに、途中でマイチャイルドと呼んで、なぜ子供のことが出てくるのか?

H 上原のことを、自分の恋人でもあり、子供でもある、マイチャイルドになぞらえてこう呼んでいるのでは。黄昏と朝が一致するように、恋人と子供も一致する。

S かず子がマリアの立場で言っているとすれば、神の子として人間はすべてマイチャイルドになるのでは。つまりここで、かず子も母と同じようにピエタであることを実現した。かず子の視点がマリアのように高く遠くなったと考えれば、黄昏と朝も一致する。

 ここの部分は無茶苦茶に矛盾して、混乱している。『更級日記』の夢見る夢子ちゃんであるかず子が現実の男と対面して混乱し、思考の組み替えが起こっている。ここで、かず子はマリアになった、と考えるべきでは。

H 母(ピエタ像)がしたことのバージョン違いをかず子もする。

S マリア娼婦説がある。処女であり、娼婦である。やっていることはど中年の男と30歳過ぎた女のしょうもない情事なんだけれど、マリアになることによって神の子が生まれてくる。姉はマリアとして処女懐胎を果たした、直治もその時自殺によって同時に恋と革命を果たしたのではないか?

 直治は軍隊に行って中毒になっている。この時代の戦争に行かなければならない男にとって、中毒は軍隊を内側からボロボロにする反戦思想になるのでは。

 宮崎駿の『風立ちぬ』が、同じことをしている。男はタバコを吸い続け、女は肺病を生きることが反戦そのものとなる。直治も自分の身体を壊すことによって革命を成就しているのでは。国家有用の身体を壊していけば反戦になる。上原も死ぬ気で飲んでいる。文学者たるものそうでなくては。直治はいつ死んでもよかった。

AH 死ぬ前に直治は革命を達成しているのか?

S かず子も自分の身体を汚すことによって革命になるというのは、ラース・フォン・トリアーの映画『奇跡の海』にそっくりでは。事故で全身麻痺になった男の無垢な妻がお告げによって娼婦になり、男たちに身体を差し出し、死んでいく、夫は回復するというほんとにしょうもない内容なんだけれど、『ドッグヴィル』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などともに、世界的に非常に評価が高い映画。キリスト教の核心部分には、こういうしょうもない献身が常にあるということではないかな。「身と魂とをゲヘナ(地獄)にて滅し得る者」(6)の意味はこの献身。

A 革命とは何に対する革命と考えればよいか。

S 旧体制、戦前戦後体制、世間とも言っている。戦争があって海の表面は嵐でも、その底の海水は「狸寝入りで寝そべっている」(8)とあるから、戦後から今でも全然変わらず続いている世間が真の革命の対象だと思う。表向きの革命である貴族から庶民へではなく、変えにくいところ、変わりにくい世間の問題を太宰は対象にしている。この世間が変わらないかぎり日本は変わらないと太宰は言っている。

A 革命は第二回戦、第三回戦があるとかず子は言っている。階級を一回越えたぐらいでは革命にはならない、世間はそれほど甘くない。そもそも革命は階級が下の者からするもので、上から革命するのはおかしい。だから、第二回戦、第三回戦、それくらいしないと変わらない社会の道徳革命を言っている。根が深い。

H もし階級を越えるという話だけなら、「人間はみんな同じ」(7)という直治のメッセージと矛盾してくる。

S 日本の世間や身の回りの社会の変革と、国家体制や階級闘争の大きな社会変革の二重構造がある。マルクス主義は後者の大きな社会変革しか扱わない。それなりに意味はあるが、重要なのは、変わらない世間の道徳革命。

A フランス革命の例があるように、表向きの社会体制は団結すれば変わりうる。団結しても人の心は変革しにくい。弟は表向きの体制を革命しようとし、姉は中身を変えようとしたのでは。

S 直治の遺書で、「マルクシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだなどとは言わぬ。民主主義は、個人の尊厳を主張する。同じものだなどとは言わぬ。」(7)。すごいね、マルクス主義も民主主義も方針があり理想がある、両方とも立派だと言っている。牛太郎だけがみんな同じだと言う。みんな同じだというしょうもない思想、虚無の思想。何をやっても同じだという、これが直治の革命の対象だと言っている。

H  虚無の思想は…

S  日本社会のどんな理想でもってしても変わらない、その根底についての革命を言っている。直治もかず子もこの道徳の部分で戦っているのでは。

A 「斜陽」は1947年に書かれたが、今も少しも変わっていない。

H 太宰の文体とあっている。主義主張のはっきりしたものなら、文体もかっちりするだろうけれど、変わりにくい根底の部分についての革命は、口語や繰り返しや文体の混合でしか書けない。